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8月30日の革命を振り返る。<その3> [政治]

<続きです>

3回目。やっとこさ最後です。

 結局、第3爺さんの終盤まで、アメリカのガバナンスとしてはGHQ時代に作られた装置が一度大きく変容しつつ延々とワークして来た。そしてまたそろそろ77年。
レジームとしては、常に副島先生の帝国ー属国理論の枠内。
帝国の意を受けて、官僚がドライブし、国民が選挙で政治家を選ぶけども、その候補者はアメリカに承認された人物である。国民から作られない人気を持って、自発的に物事を行う田中角栄の様な政治家は、レジームが緩むので潰される。前々回に書いた通りです。

戦後「民主主義」と言う物も、金と地政ポジションを生む属国に、この範囲であればいいよと、外ではこれ着なさいと押し付けられた服みたいな物で、天皇が立憲君主制国家として外に振る舞う為、プロイセン髭を蓄え、サーベル下げて馬に乗せられたように、対外的に戦後民主政体の体を成す為に着させられたものです。

歴史上勝ち取った物でないから、実はそれ程判っていないし、民主主義やら、諸々の自由、人権、平和を幾ら叫んでも主語が無い。我々の〜と叫んでも、自分で立っちゃいけないから空虚に響く。
主人が強制する理不尽な理由に怒って庭で鎖に繋がれて、吠え疲れると、餌を持って来る主人にしっぽを振る。そうして矛盾を是として生きる様になる。
これは、今はニューエイジでしか顧みる人も無い、グレゴリー・ベイトソンが言った所謂ダブルバインドですね。

ベイトソンは第3爺さんの生まれた頃にはサイバネティクスで弾道計算をやっている。それをそのまま生物の心理にも応用した。
奥さんはベネディクトのレズビアンの恋人であった文化人類学者ミード。日本の占領は、そういう事をベースにした社会工学実験も既に深く織り込んで、そこまで周到に行われていた事はまず確実な所。

反安保の時代、最後に残って暴力で戦い抜いた先鋭化した人間達は、「民主主義」に思考的に純粋であったが故に、それしかなかった。
きっと第2爺さん誕生前夜の「尊王攘夷」を信じた侍の純粋な連中もそうだった。ロックフェラーに移った頃、「天皇の国体」を信じた2.26の将校もそうだった。
そしてきっと、彼らでなくても、日本人のうち必ず一定割合の人間達が、帝国、属国の関係の中で、形式、都合上掲げられる御旗と、実情の乖離の間で、正そうと抵抗しながらすり潰される様に消えていった。
何故なら我々は与えられる立場の枠内を抜け出る事は、許されていなかった。

中国はやはり、民主政体に関して、我々と同じ様に問題を抱えています。
元々はアメリカに支援されて出来た共産党一党である事で、そのトップが皇帝として国を纏める事が出来た。政府は一党独裁である事に苦しむ。だから、今の経済の発展状況を作ったテンシャオピンは、市場主義経済を導入しても、民主政体を作ったら国がバラけかねない為、苦渋の選択で天安門にタンクを進め学生達をすり潰した。でもそれから、圧倒的な人口と賃金の安さで、主に日本から流出した製造業を基本に、爆発的な発展をし、今や日本を抜いてアメリカと対峙している。

ソ連が崩壊し、ロシアは各地域で戦いをする事になった。最近はグルジアが焦点になりましたが、プーチン皇帝が自分のマッチョな半裸写真とか撒いたりして頑張っていますが、中国はまだ各地域がバラバラの経済状況で、今民主政体を行う事は難しい。

しかし、今になって、第一爺さんのもっと前に作られた今の形の保険と金融が、ついにはエクスプロールの場所も消え、実物経済を遥かに越え、お手盛り戦争でも、詐欺的CDSでも遂に先行した借金を支え切れず、数百年経って爆発した。

そして第1爺さんの頃農耕馬として買われて、船に詰めて送られてきた黒人がようやく大統領になる。この辺も過去書いてますのでそちらへ。勝利宣言をしたフリードマンのシカゴボーイズは、表舞台からは逃げた。

そして、我が国ですが、この間疲弊した日本を回りつつ弟子を育てて来た小沢が、正に世界のバランスと日本へのガバナンスに弛みが来るタイミングをついて、参院選を勝ち、そして衆院選に向けて旧レジームに真っ向から対立するマニフェストを掲げた。
国民生活が第一、アメリカと対等外交、官僚の打破。
今までのダラダラと長い文を読んで頂くと、この簡単な言葉がどれだけの意味を持つ物か判りますよね。

即座にGHQ以来の装置、旧与党、官僚、マスコミは、なりふり構わず小沢に一斉射撃を始めた。その濁流の中ついに小沢民主党は踏ん張って、お仕着せの民主政体のスキームの内側、我々が選挙権を行使出来る場所に姿を表し、倒れずに8月30日を迎えた。

小沢の壮絶な戦いのおかげで、我々は、その日、手の中で本物の輝きを放ち始めた権利を大切に握り、衆院選の投票所に向かい民主党に投じ、見事にレジームチェンジを迎えることになった。

少しいい加減ですが、

●3爺前期
帝国>政治家
    ↑
   官僚>爺

●3爺後期
帝国>官僚>政治家→爺

が、

●4爺前夜
爺>政治家>官僚
   ↓
   帝国 

と、こうなった。

3爺のアンシャンレジームは、自由資本主義経済でパッケージされた、民主政体、平和的且つ、人権を尊重した立憲国家の形ではあっても、帝国の思惑に反した瞬間に何事も不可能でした。
世界情勢の変化の中、小沢の存在によってそこに可能性が生まれ、有権者は旧体制のプロパガンダや妨害に左右されず、選挙によってその可能性を利用し、平和にレジームチェンジを成した革命という事になる。
副島先生が小沢を「国民指導者」と書かれるのは、この革命における存在として正にその通りだなあと思います。

日本史上初めて、一般の国民が正当な選挙によって、国を統治しているレジームを変えた。時はそろそろ4番目の爺さんの出番。
その後も一層旧装置の攻撃は激しさを増して続いていますが、我々は、もう現実に可能である事を経験してしまった。
それは我々をもう変えている。これからフランスの様に振れるのかどうか判りませんが、その事実は消えません。

やはり改めて、天皇論を深める事が必要になる。既に山崎行太郎先生、佐藤優先生等も論考を深めてらっしゃる模様。国の由来、理由、これからを、改めて考えて持っておく事が、きっと誰にも必要になります。なぜなら今は我々がこの国の民主政体の枠内として主権者ですから。

 最後になりますが、こうして振り返ると、一人の爺さんとしてはある事を思わずにはいられません。

世には、これまで見て来た明治維新も2.26も、太平洋戦争も、三島も、反安保等の我々の歴史特有のタイプの事件を、ノスタルジックに、ポエティックに、おしゃれに、ナイーブに爽やかにさえ描かれたコンテンツが死ぬ程あふれていて、好まれる。

それは恐らく、雰囲気に酔って参加した物の、厳しくなって裏切って逃げ、大過なく生き延びた人々が、矛盾の中で裏切った後ろめたさと、満たされないプライドや自尊心、実現や理解が出来ないもどかしさ、そういった物を処理する為のカタルシス用脳内物語、つまりダブルバインドの現状に慣らす為の物語であった。そしてレジーム側もそれを利用して来たのだなと。

俺たち悪く無いんだ、頑張ったんだ、ああいう物だったんだと、血まみれになってすり潰されて死んだ人々の墓の上を踏み散らし、いじましく痕跡を消そうとしながら、集団の妄想オナニーに耽る。
そんなダブルバインドに置かれた状態に自分を変形させて生きてしまっている人々は、今回の様な大きなレジームチェンジに際し、そういう自分の姿が白日の元に晒される事を恐れて、無かった事の様に目をつぶるかもしれない。

自分のこれまでぶつかって来た様々な事を振り返るにつけ、最後の敵は覇権国でもなく、統治の装置でもなく、慣らされてしまったそういう心の動きなのかもしれないと思います。

 しかし、現実に我々は、もう歴史の岩盤上にこの手でハーケンを叩き込んだ。
昨年8月30日以降、日本の歴史上、我々は自ら主権を手にした最初の国民です。アメリカンスクールのバスに乗せられていたけども、今は自らハンドルを握っている。世界の中で、一人称で話す主体を手にした最初の一般大衆としての国民。

それは別にお祭り騒ぎでもなんでもなく、なんとか稼いで、飯をくって生きていく中、理想に進むというより、必要に迫られて実現した。
与えられた枠組みではあったけども、それを自ら利用して、実に平和に革命を成し遂げた。そしてそれは、モダンマンとなりつつも外人になってルーツを消してしまうのではなく、なおかつ、生きる場所として、この国の枠組みをを荒らさないという我々の見識と気概でもある。

渋いけど、なかなかいいじゃないですか。ついに東アジア型のモダンマンの萌芽か。大人って感じですよね(笑
この自覚は、長いスパンでいい方向に人や物事をきっと変えて行くと思います。


長くなりました。この辺で。
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