SSブログ

古い日記を見て(日本語で生きる事についての続き)。 [日記]

アッコさんのお話ではありません(笑

先日PCの整理をしていて、古い日記を見つけました。

時々付き合った方はいても、20年以上独り暮らしですから、拗らせ具合が恥ずかしい、でもポツポツいい視点もなくはない(笑)と思いながら読み、一方で相当に遠くから見ている自分に気づく。よくあるお話ではあります。

拗らせ具合に関して言えば、当時は仕事を除く日常のタスクなんて無い日々ですから、その中で好き勝手やって、自由に想像をめぐらし、延長戦の中2病もたっぷり時間をかけて年齢なりの納得を試みてきた訳でして、枕草子から徒然草的になかなかそれも面白いしミクロに鋭い視点も多い。纏めれば需要もあるか(笑

今や家族がいて育児介護があり、生まれて半世紀近く住んだ土地からかなり離れ、それまでと継続性のない暮らし。新しい事ばかりで余裕がありません。
結婚は幾つでも良いと今でも思いますが、次の主役、子供がいるフルセットの家族持ちはまた違うかもしれません。一人やパートナーと重ねた年の功はこれがあまり役に立たない。
独身中年の癖を完全に外すのは難しいもので、一生懸命やっているつもりでもパートナーに迷惑をかけている部分がある。

日々是反省というわけですが、そんなお恥ずかしい視点が一つと、他に、2つ違う視点が芽生えました。

身辺の変化は、新たな街で人格リセットでは無く、地方の小都市近郊の田舎の駅に越しながら、仕事の場所は変らない、つまり、行きか帰りに特急を使う必要のある遠距離通勤です。
またその仕事も以前は国内商売だったけど、今は海外主体。兼務者以外いないチームで介護を何とか調整しながら海外に行くことが多い。お大名でなく、一人二人で行って、草臥れて靴はいたままベッドで寝る様なタイトなヤツですね。
そして介護は、故郷というには微妙な”旧”新興住宅地まで往復100キロ以上かかるんですが、毎週末に不十分ながらこなしています。

こんなハードな暮らしがもう2年。
昔の自分からすると、良く持ってるもんだと思いますが要は、職住近接、好きな街で狭い範囲に生きていたのが、膨大にストレッチされて毎日が旅、出張みたいな暮らしにガラリと変わった。これはインパクトありました。変な比較になりますけど、心の中で、震災の時と同じ様なコトが起こった。

前に少し書きましたけど、震災の時は音楽関連の仕事をしていて、日本の楽曲で震災以前の物が殆ど聴けなくなった。個人的にも色々とあったのですが、所詮戦後は砂上の楼閣で、その前提で作られた曲だと思うと、浮かれるも悲しむも、ひねくれるも、箱の中。
何だか虚しくなってしまったんですね。戦後の人が戦中の曲を聞かない様なもんでしょうか。

今では聴ける様になりましたけど、音楽性そのものを聞いてる。一次体験ですね。この曲やっぱり凄いな、という様な。
今でも「あの頃」的な、カラオケ要素、郷愁、懐メロ、特に人と同時代性を懐かしみながら、と言う聞き方はやはり全くしません。老境を迎えて、また変わるかもしれませんが。

今回、同じ様な事が起こった。
必然的に行かねばならぬ場所が国内外増え、全く前提の違う土地に赴いてそれぞれこなして次へいく。生活全般が旅とか山行みたいになって、以前の日本首都圏都市型独り者暮らし、その頃確固たる前提であった事が何だかとても小さくなってしまった。
これが2つ目の感慨。古い日記の中身が、何だか遠い昔の様に思えてしまった。ある街の空気の中で豊富な時間を過ごす様な事はもう無い。実存的になるとすれば、むしろ移動中、カフェ、一杯飲み屋。ノマドというか、ホモ・モーヴェンスというか。

そして3つ目。
そうしたノマドにも帰る場所もある、と言いたいところですが、それは言ってみれば建設進行中なのです。分かりますかね。それは新しい場所に次世代を揺籃する場所として自分が作っていく。

今、何も「こうなっております」が無いんです。
この状態で昔の日記読むと「昔の俺の頭って随分フリーライドだったのね、過去のラインダンサーであったのね」と思ってしまうと。

そういう事になります。

実はここからが書こうと思っていた本題になりますが(笑
前に「日本語で生きる事について」というポストを2つに分けて書いたことがありました。

構造的に戦後も別の形で生かされた明治以来の立て付けが崩れ、日本語で知を積み上げる事がもうほぼ出来ないので、里に帰った際に親と話す郷愁のローカル言語になっていく、それでも年だし、ここで日本語で生きていくかな、という主旨。

その後、日本の知性を揺籃していた社会主義的な人の固まりは、戦後の砂上の楼閣が揺さぶられる中で自縄自縛で粉々になり、右は保守から外れ切った現政権に代表される知性の無い雰囲気番長となった。
重要な商売も研究も、日本語では最早ドライブできず、積み上がらない。日本は人頭と金溜まりという存在に落ちつつある。

逆に海外のモラルに縛られない日本人の創意工夫の溢れ出る場として、漫画的なものが評価されていますね。これまでのモデルはうまく行かなくなった。観光立国というのもいいのですが、これもなるべく減らさずに止まった時を切り売って行くという商売ですから、新しいものを生み難い。整備をして拾ってゆく商売の様に思えます。

さて。この暮らしの変化で、自分で立って食って行くには英語(共通語)でやってくしか無い。日本語内では完全な椅子取りゲームになってしまう。税金以外に金の出所ないですから。
誤解して欲しくないのですが、別に日本語捨てるとか、ラペラペな兄ちゃん姉ちゃんをとにかく育成するということでは無い。

日本語でもちろん暮らして行くし積み上げる努力をするんですが、何というか、海外の日本人見ると、不思議な気持ちになるんです。仕事の人も、観光の人も、住んでる人もいて、昔よりはるかに喋れる人は増えた訳なんですが、今だに一つとても目立つ事がある。

相手とのコミュニケーションの中でどうしても何かを前提としている、それは状況や、英語屋さんポジションや、自分の日本的背景を知ってもらってるとか、そういった感じで。分かりますかね。所謂「こうなっております」ですね。ああ、あなた日本人ね解ってますよ、ガイドがいるんですね、と聡い外国人に気付かず日本人対応してもらってる事も多い。

兎に角、相手と相対で自分が良いコミュニケーションを引き出す、場を和ませ、重要な点を共有し、自分のしたい事、相手のしたい事、それを作っていくという様な会話をあまり聞かない。何で来てるんだっけと。「こうなっております」と言いに来たの?みたいな。

今だに世界の土俵上では、大人としての個がとても弱いのかもしれません。もしくは自分がやっている事が、外の世界と連続していないという事でしょうか。国内と外国は違う場所と。
メリケンさんに、お使いで何か持って行ったら、意外な対応されたとか突っ返されたとか殿様の顔真っ赤だとか、居酒屋で話している熊さん八っつあん、という様な光景を帰りのJALで良く見ます(笑

人はどうあがいても今あるものから立ち上がるしかない訳ですけども、新しい価値を生むには、外の視点を繰り込まないと生まれないものです。自分主体でビジネスしていかなければいけない。
人間としては概念の豊富さがとても重要ですから、無い概念があれば理解に努め吸収し、日本の概念が通じるか否かを試す事を個々人が英語や中国語、または他の言語でやっていくことがきっとまだ見ぬ将来にとってまたとても大事だろうと思う次第です。

そういう事でした。荒い展開かつ分かりにくくてスミマセン(笑

この辺で。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。