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マッチポンプ。 [The Shock Doctrine]

マッチポンプ、という言葉があります。
マッチポンプ売りの少女って本も確かあった(笑)
wikiによれば、

「問題や騒動について、自身でわざわざ作り出しておきながら、あるいは自身の存在がその根源であるにもかかわらず、そ知らぬ顔で巧妙に立ち回り、その解決・収拾の立役者役も自ら担って賞賛や利益を得ようとする、その様な行為を指して用いられる表現である。」

という事で、当然否定的に使われる。
自作自演という事ですね。

自ら恐れを引き起こす噂、事故等を起こし、その対策を売りつけるという場合の、セキュリティ、テロ対策、保険、薬品ビジネスや、言わずもがなのショックドクトリン型の経済政策にも通じる。おヤクザさんのシノギ、美人局、援交、痴漢冤罪もそうか。というか、金融自体がそうでもあるけど。

需要を喚起するという意味では、一般企業として普通のミッション。
代理店、プロモーター、マスメディアに至っては、客に合わせてマッチポンプをアレンジするのが本業そのもの。

一方で、細かに見れば、実生活上で、子供同士、ママ達の関係、職場と、日々の人間関係の相克の中にも常に存在しますね。いじめにしろ健康な競争にしろ、そういう部分はある。

もうしばらく見てませんが、国営放送(にハッキリしてほしい)のサラリーマンneo等は、そのへん面白く描く訳です。

他の対抗組織のプロジェクトを自分で潰した入江部長が、「そうですか専務!判りました、私が立て直してみせます!オイみんな!これは会社にとって大事なミッションだ。我々ご指名だぞ。皆期待されてるぞ!頑張ろう!さて今日は壮行会だ!○○くん店お願い」「ハイッ!」
と、最高度に白々しく展開される茶番を、目と口大きく開けて唖然と見てる横取りされた生瀬課長、て立場は誰しも少しは経験している事でしょう(笑)

あの人いい役者さんですよねえ。

縁起を意図的に扱って、因果から外れた存在がそれを収拾する立場をとって、金や名誉の対価を刈り取る。経済活動ですね。

一方、例えばその事件の被害者が持っているはずの、主張する権利を関係ない人間が乗っ取って、具体的に結実しないデモ等の場を作る。
これも、当事者の責任やリスクを負わずに、当事者の権利を実現するのでなく、当事者の正義を周囲に向かって叫ぶ立場をかすめ取って自分の自尊心を満たすカタルシスを得る事に使う訳で、経済活動でなく、精神活動におけるディザスターキャピタリズム(笑)マッチポンプ利用と言えるでしょうか。

その後、前述の部長を批判したおかげでリストラ部屋に押し込められている生瀬さん。
ケセラセラな中越OLちゃんと、以前リストラされた平泉先輩が居酒屋で彼の涙ながらの話を聞いて、「よしっ正門前でデモやろう!」と言う事になって、「労働条件を改善しろー」とやる。

中越ちゃんの「あー大きい声で会社に文句言えるなんて、すっとしますねー」「じゃ、デモもした事だし、ビールのみに行きましょうよー」で再び唖然としかけた成瀬サンの前に当の入江部長が。

成瀬氏をちらちら見ながら、「あー中越ちゃんなにやってんのー?へーそうなんだー優しいんだね。いやプロジェクトがうまく行ってさ、皆でカニ食いにいくんだといかない?」
「エーッ!カニ行きます行きます!じゃ生瀬先輩また!」

もう生瀬サンの顔ときたら、異なる文化地域のそれぞれの人々が見て瞬時に各国語で「唖然」にあたる言葉を発するくらいのネオ歌舞伎状態。後ろで平泉さんまでイイ顔に(笑

という感じですね。
自尊心を満たしたいけど、しがらんだ実生活上で鬱屈して肥大したそれを満たす機会が無い。別に実効の無いガス抜き市民運動だけではなくて、その辺の居酒屋政談でもよくある。

自分の心の詐欺に目をつぶって、精神活動マッチポンプに耽る人が多いとなれば、やはり利用されるでしょう。
集団オナニー祭りの環境整備役の政治組織もありますね。そこは、「ネバーランド」実現不可の目標を掲げ、永遠に途上の存在である事で社会問題全てに正義側について恥はかき捨てのお墨付きを参加者に与える。
具体性の無い名詞が運動の目的になり、多くは批判のガス抜きをして矛先をかわして沈静化する。

これは実のところ、ウヨサヨ別にして、きっと社会学的にも「祭り」そのものであって、その設えをする方も、お題目から運営、進行まで同じなのではないか。
多分、企業のイベントSP部と、左翼のデモ後援、村祭り本部、学祭実行委員、みな要素おなじでしょう。お題目はなんでもOKで受託するのが代理店とかメディアのSP部。

「お題目」の設定にかなりマッチポンプの極意が込められているような気がします。

人口に膾炙して、問題意識喚起に役立つ面があるけども、煮るも焼くもマスメディア100%まかせという大矛盾がある。
まかせたメディアはそれこそ、委託元のマッチポンププランに従ってそれを利用する業務なので、世論の作成方針に従って使われる。そこに、ジャーナリズムの淡い期待を持つ人も居るけども、個人の資質でありメディアは関係ない。

 こうしてマッチポンプ題材に書いてみましたが、世紀の大悪人フリードマンしかり、国の成り立ちでさえそういう事は有る訳で、人間の代表的な生存手法の一つなんだろうなあとしみじみ思います。

分解すると、適当な茶飲み話ですが、ナチュラルローか、ポジティブローか、くらいの所に行く気がします。人が、そう「なっている」と思う仕組みを、人意で利用してしまう。

散々、唖然としてきた生瀬さんである我々としては、目くらましになるお題目や、それによるニューマは無視して、マッチとポンプが誰なのか、最後に利するのは誰か、そこに集中する事が肝要でしょうか。

ではこの辺で。


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