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強くオススメ。「悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める」。 [本]

今日は、今の状況を読み解く必読書をご紹介したいです。

ウクライナ紛争ですが、個人的には、落とし所を決め、早急な停戦を祈念するものです。
が、おそらく一方は合意が難しい状況になっていて、悲しい事ですが、長引くのかもしれません。

一方、これまで見た事がないような電子戦、認知戦の紛争となっています。
Fakeも含めて中身は昔と対して変わらない。大戦中の日本に関するプロパガンダを詳細に記述したジョン・ダワーの「人種偏見」に書かれている通りの事が、今はSNSに乗ってくる。

昔は新聞、ラジオのテキストベースと、写真ですね。
現在は何億人ものパーソナルなフィードの中に動画でそれが流れていく、軽信的な人の反応はより脊髄反射的になっていくのと、承認欲求があるからこそSNSを行なっている人々の中で、端的な善行への同意、悪行への非難を互いに見せる作業が一瞬にして進むところが異なります。

攻め込んだロシアはいいとは言いません。が、国内法に先んずる国家間の協定違反が6年近く無視されて、対話に応じないクーデター政権な訳ですね。フランスとドイツは、協定の当事者でもあって、ドイツは政権の端境期だったからか、フランスが説得の体もとったのだろうかと思いますが、それをミンスク協定の話だと分かって見ている人はいるのか。

クーデターや革命を推進してきた某省庁や、ヌーのつく女性は虚を突かれたか、生物学兵器の研究拠点の存在を、議会で普通に問われ喋ってしまったのをわたしも見ました。
公式HPにも6箇所乗っていて、各拠点のpdfはリンク切れになっていた。攻めた方が悪いという道義的な問題がありますが、核や生物兵器とすると、今度は人類に対する道義の問題にもなって来る訳で、この問題如何でどっちに転ぶか分からないかもしれません。

こうした話も順々に同調圧力で排除され、最後は垢バンされる。今やマネー規模の観点からしても、兵器産業よりGAFAなわけで、軍産複合体にずいぶん昔からITが入っている。
インターネット自体が軍事で始まったわけですが、もうスマホの中までビッグブラザーこんにちわな訳です。Wikiがなくなったら皆さんどうなるのだろう。膨大な知の積み上げもサーバー落とされたら終わりですね。

そこでやっぱり紙の本(笑)というところで、昨年6月出版の書籍ですが、恐らく今、最も読まれるべき本のご紹介。タイトルはタイトルで、今の状況にまさに合致してしまっているんですが、

古村治彦氏の「悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める」です。

繰り返しますが昨年6月の本。現状の出版はまず目を引かねばいけないので、このようなタイトルにしたのでしょうが、そのままになってます。びっくりする。1月末にご紹介しましたが、ジョシュ・ホウリーの「ビッグテック5社を解体せよ」がGAFAのカウンターの動きとしてあります。この翻訳も古村さんです。

https://zutsuki.blog.ss-blog.jp/2022-01-30

この世の中どこまで、ビッグブラザーこんにちわ状態なのか、詳細に書かれていて、最後サービスとPFは別会社にという著者の提案に繋がる。

著者の古村さんは、アメリカの政治研究を丁寧にしっかりと積み上げて、日本の中でも最も信頼できる書き手だと思っています。わたしも本棚を見ますと4〜5冊ほど読ませていただいていて、「アメリカ政治の秘密」等から読まれるといいのではないかと思う。

その中には、この10年くらいの東欧、ウクライナのアメリカの政策の中で大きな役割を担い、今回紹介する本の中心的な人物として書かれているヴィクトリア・ヌーランドの旦那にして、ネオコンの思想的中核である、ロバート・ケーガンの「アメリカが作り上げた”素晴らしき”今の世界」、これも翻訳されていて、理解度としては日本最高でしょうから状況が具に見えていらっしゃいます。

書評といいますか、こんな本だと思っていただければという事を書きます。

「どうやら「悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める」と思われるんだけど、
それは、
バイデン政権=4年越しのヒラリー政権=第3次オバマ政権
だからだよ。
省庁人事と派閥みてわかる通りヒラリー政権の延長となっていて、リビアとかISISとか色々ありましたけど、(ヒラリーが恐ろしくも言っていた、アジアにシフトするという話は、一旦トランプの面白かつ真剣外交で逃れたかもですが)満を持して、東欧もおそらくやってきますよ。
やり方だけど、軍産複合と良くいうけれど、ミッシェル・フロノイを軸とした、GAFA系の囲い込みもあって道具がきっともっとサイバーだよ。軍産IT複合ですよ。

一方、少し軸の違う、コロナ含みのグレートリセット組もいて、ケリーですよ、しくったライスもこっちですよ。」

という事を、人とアクティビティで丸裸にした本。
読みたいでしょう。

ゴイスとしか言いようがない(笑

ここまできっちり理解できているマスコミ人、政治家、官僚いないと思います。なんで、多分心ある人はタネ本として剽窃していると思います。古村さんにはそうした言説を見ると、読んでるなとかわかるんだろうなあ。。昨年の本ですが、このように、色々当ててますのでとにかく必読であると、私などは思います。オススメします。

GAFA儲けさせるために(笑 貼っときます
https://www.amazon.co.jp/gp/product/479806484X/ref=dbs_a_def_rwt_hsch_vapi_tu00_p1_i1

 余談ですが、こうした、比較的読みやすく書いてある本も、もはや周囲では読まれなくなっているように感じますが、それも、ITに認知を活用されて、自分の言語に落として理解することがどんどん除かれてこうなっているように思います。全部が2項対立の印だけ。ワクチンパスポートのようになっていく。

読書人であれば、

フクヤマがソ連も解体してアメリカは歴史を終わらせた。ここからは幌馬車に乗っていくだけさと言ってから早幾年。それでもやっぱり民主主義警察として、ずべての国家をそうするまでは突き進むのさとケーガンが言う。で、警察やめよとトランプがいってアメリカが割れてしまったんだなと。
中国がとって変わるには、アメリカに競争で勝たねばならない、と言っていたけど半分アメリカは引いちゃったから、アメリカの負けだってことだよなと。残ったバイデン側はゲーム理論以上の答えを見つけることがないまま突き進んでいたら、ロシアの抵抗を食らって、焦りつつそのまま突き進むカサンドラクロスか。。。幌馬車は今そこですか。

と、おそらく他界した父の世代、古いモラルの本読みの自分などは思って、それが認知のベースになる。この10年くらい、スパッとそう言う思考が消え去ったwikiレベルのこうなっておりますな時代になってしまったように思います。

紙の本買ってたまに読みましょう。この辺で。

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「ビッグテック5社を解体せよ」ショック・ドクトリンと、知の消去。 [本]

何年振りかくらいの投稿です。

両親の介護も、他界と共に終わり、今だに故なき焦燥に駆られるのですが、少し余裕も出てきました。そんな中、発言もろくにせずに、ショック・ドクトリンに世の中がやられて行くのを力なく見ておりました。

特に詰めて書いてもいないので、スルー上等なんですけども、
先日時間があって、ブックマークを整理したんですね。PCやブラウザ環境が変わる度、整理できてない引っ越し荷物の様にブックマークの塊がいくつも残る。長いものは本当に前世紀からあったりする。

これなんかも、
http://misoji.client.jp/index.html
はや15年以上になるか。今でもたまに覗いたりしていて、元気でやってるなとホッとします。プラットフォームを追加しつつオリジナルは今だにやってます。もはや彼は五十路かもしれない(笑

とてもさみしい話ですが、見直すと8割方が404だったり、ドメイン販売ページだったりで、消えてしまっている。

インターネットの黎明期、本当に皆無限の可能性を感じて、自分の場所をこさえ、ビューなどなくても発信して、Blogのツールができてからは更に、参加する人も増えて知的にも楽しい世界があった。ECのアフィリエイトが流行った頃か。

その頃何が楽しかった、ワクワクしたかといえば、およそ全ての事象には、沢山の表に出ない”シリアスな当事者”が存在し、その言説を伺うことができたってことです。

例えば学生の頃、解決のつかなかった課題が、同じ様な思考で学究的に探求し続けている人を見つけたりするとこれは大ハピーですね。同じ様に有るマイナーな趣味、社会問題、事件の疑問、地域の情勢、そう言ったものの当事者の言説を知ることができる。この立場からはそういうことだったのか、と分かるわけです。しかも一次情報だったりする。

ここも、どこにも日本の言語空間になかった海外書籍の、翻訳を乗せることから始まった。ショック・ドクトリンですね。拙いものでしたが。

それと共に、いわゆる本読みの知性の有る方は世の中結構多いのだという事がとてもよく分かって嬉しかった。知性は人間のコミュニケーションの大きな安全弁ですから、そんな、遠くの国の人とタルムードで、共通理解が得られる様な、そんな安心感もあった。

コンテンツが消える理由の一つは、やはり年齢、都合もありますね。
当時50代、60代の知見の整った熱量を感じる思考を持っていた人も、もはや70才を超えつつ有る。私のFacebookの友達も、すでに4名が鬼籍に入っています。作家やライターも沢山なくなりました。

そして大きな理由の一つは、PF側がサービスをやめることです。準備期間があれば頑張って移す事もできますが、全部消されてしまう。YahooのBlogは皆さん記憶に新しいと思いますが、今見ると、社会問題や批評、政治、事件系のBlogは結構多かった。これががっさり蒸発してしまった訳です。同じ様なケースはすごく多い。同じタイトルで検索すると、頑張って移植している人もいますが、途切れてしまう人も多い。

適菜さんや佐藤優さんの言う反知性時代というのも、その前の時代があったから言えた事ですが、今やそうでない時代の言説が、ばっさりとネット上から消去されてしまった事に気付いた。大統領選と、Covid関係で皆うすら寒く感じたと思いますが、言論規制が当たり前になり、理由も明確でないポストやアカウント削除が日常になってしまった。世界のPFと誘導を一手に握るGAFAがそうなった。皆その中の活動という事になるので、逆に古臭いhtmlページは皆カルト的に見える様な異常な時代になった。連続性が途絶えてしまったんですね。

皆、ここでお伝えしようとした、ショック・ドクトリンにやられてしまった訳です。

今のネット上のコンテンツは消費そのもので、GAFAに準じほとんど”認証”に近い様なスクリーニングになっています。今掲載をBANしないplatformも影響力が出てくると、今はバックエンドは全部GAFAの店子ですから、いうことを聞かされるという訳です。

そんな中、古村さん訳のジョシュ・ホウリー「ビッグテック5社を解体せよ」を読みました。
著者は、今メタのザックを議会でガチガチに詰めていたあの人ですね。

解体するに当たり、グラス=スティーガル法のように、サービスとPFを分けるというのはとても自然に理解できる良い案。それと追跡されない権利も非常に落ちる所に落ちています。PFだけになれば、主筆のいない、政治部長会議に参加しない朝日新聞みたいなものですね(笑

著者が守りたいアメリカの共和制が、民主政体を獲得していない国々には解りづらいかも。輸入概念によってのプロテストの経験しかない人々からすれば、民主党とリベラルSNS側のシンパになるねじれが起きているのは日本のアルアル。

最近スマホ変えたんですが、サービスがほぼ全部、許していない紐づけの候補を上げて迫ってくる。
全部紐づけ終わって、見かけのコンプラ確認のみ。で運用に対する監査はゼロに等しいですから、ビッグブラザーも思わず興奮(笑)ボーナス弾むョ!くらいになってる状況です。

我々、ガラケーになってもオッケーな状況をポツポツ選んでおくのが良いのかなあと思いますし、貴重な言説というのは、ネットに頼らずにやはり一部は書籍にすることが大切なのではないかと思います。

久々でした。この辺で。


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中田安彦「ネット世論が日本を滅ぼす」を読む。 [本]

 久々に書評です。
中田安彦さんの「ネット世論が日本を滅ぼす」を読みました。

今回の本は、これまでの本と少し違います。キャッチーなタイトルかつ新書版。ターゲットを広めに設定した意欲作。これまでの研究と知見を下敷きにして、自らの経験も赤裸裸に綴ったヰタ・ポリティカルソート的な内容も含んだ本になっています。私も中田さんの思想の変遷を興味深く読みました。

そこから結論付けた、自らの意図に基づいての、穏健中道派のリベラル派、保守派を育成する「ポジショントーク」であると明言していて、それはまさにこの拙いblogとも合致する所。

 このblogも最近数年更新が滞っていますが、その理由として、身辺の変化もありますが、実の所、無力感もあります。

もともとショック・ドクトリンの邦訳が出ない事に業を煮やして、つたない訳でも乗せようと、政権交代前に始めたblogでした。今や遊び無くテキストで埋まったblogなんて、まともな書籍の様に埋もれて見えなくなり、実際にはこれまで人口に膾炙しなかった驚く様な情報がいろいろ出て来ているにも関わらず、それによって人々の知見が深まる訳でもない。ショートサイクルのSNSが大勢となって議論は劣化し、事態はどんどん難しくなって行くように見える。

例えば、「学園祭」を一発やって地域社会の理解を得て、プロモーション効果も狙って、採算もプラスで頑張ろうとしたとする。経営陣と効果を議論し、利用範囲やちょっと予算もらったりして、一方で開催の実行権限を握る左翼セクト(年がバレますがw)と調整し、誰でも参加出来る様、企画営業して実行して金もバズも上げようと。周りを振り返れば、そんな目論みを共有できる人がとんといない。
無意味なポリシーで全体のまとまりを割ってしまうグループ、無関心層、なんかやらせろと主張するので、スポンサーから飲み物貰ってセットした、仕入れも売り上げも関係ない町内会バザー的たこ焼きとかクレープ屋で、最終日なぜか感極まって泣いたかと思えば、アーティストを自分が呼んだかのごとく話し出すライブの警備係という様なのは(笑)分かってくれる方も多いと思います。

用意された物でスッキリするだけのたこ焼きや警備員ポジションは、旨い表現だなと思いましたが、文春系「大人のエロ本」でカタルシスを満たしスッキリするネトウヨであり、スポンサーイベントを資本主義の犬(笑)と反対し、自らの根城に赤字を計上させ、権利を主張するばかりの左翼は、永遠に着地点の話し合いにつく事が出来ない、恐怖に取り付かれた反原発運動の人々と言う事になりますか。

バーネイズを訳した中田さんにはこれも専門の領域ですが、大衆にはセックスとスクリーンとスポーツの3S与えとけば良いという話は結構正しいと言わざるを得ない。カタルシスを本能的な代替物で充足させて、不都合な課題から矛先を変え、ガス抜きする訳ですね。
結局プロパガンダのコントロール枠内の想定事象であって、この何年か、政治課題が上がる度に、それらに対して新たなポジションが生まれて人は割れ、割れたまま無駄な刹那的ショートサイクルのムードの競合いが続く。

実際、Twitter等は、ホイチョイ細切れカタルシス充足独り言メディアと相成り、Facebookはもう少し手の込んだ素敵生活称揚組合といった様相で、狙って作られたのではないかと勘ぐるくらいです。あれだけ叩かれた2ch掲示板よりむしろ劣化している様に思う。テーマに対する議論にさえならず、さざ波のようなラインダンサーが続くだけで、ちょっと無力感に苛まれてしまったというのがホントの所です。

 中田さんの本の内容の中で、個人的に、読まれる方に一番判って欲しいのは、「経済活動=共同謀議」と喝破している所です。「日本再占領」の感想でも、プリンシパル・エージェントの関係は、どうも普通の町場の経済活動と変わらないようだ、として書かせて頂きました。

http://zutsuki.blog.so-net.ne.jp/index/12

ビジネスを始めるには市場調査をしますが、それだけでは後追いの商売しか出来ない。まずは「目論見、仮定」てのが肝であり、皆、「うちのこのアセット使ってなんとかあの連中に売れないかなあ」、とかそういう事ばかり考えて食っているのです。

もっとも、株主説明責任とコンプライアンスにがんじがらめになって居る大企業は、やる事をアジェンダ化されてしまうんですが、それは置いといて、私は陰謀=事業目論見と言いたいくらいです。それが様々なポジションや大きくも小さくもローカル事情で行われているだけに見える。

 この辺、経済活動による納税ポジションの人間なら皆分かっているかと言えばそうでもない。

「おつとめ」的に社内評価で自己実現を求める公務員的ポジションの人々は、大きな企業ほど多くなる。企んで成功して積み上がった果てに自分が食ってる暖簾代が今ある事が、頭から抜け落ちている。学祭ネタではないですが、そんな社員を国民と置き換えてみれば、外圧で飲まされた規準に苦しめられていること含めて、やはりとても構図としては似ているのです。

私的な話で恐縮ですが、出向から戻り、昨年まで2年間注力した仕事で、大きいビジネスではないもののそこそこ人口に膾炙しているテーマがあります。昔大きかったけど今調子の悪い2つの業界と、伸び悩む+1くらいの業界の一部がそれで一息ついている。個人的にその仕事は私にとってはライフワークで、業務指示関係なくこの10年で3度目の挑戦でした。

強い人や安全地帯にいる人は、弱ったりリスクにさらされないとなかなか他人の話を聞いてくれない物で、最初の「陰謀」の際は、まだ誰も弱っていなかったので各業界聞いてくれなかった。ちょっと早すぎました。2回目の陰謀は、相手側がちょっと弱って一部賛同してくれた。でも逆に内部の対立もあって身内が途中で引いた。

今回追い込まれて来て出来る事が少なくなった「おつとめ」中心の身内が自分で始めようとしたのですが、対になる業界の協力が全く取り付けられていない。

プロトコルの違いというか、軍隊式の内勤の多い連中と外に向いた業界では、どうしても内勤業界は人慣れしていないだけに傲慢な態度に映り、対立が深まっていさえする。一旦はクビになりそうだった自分がそのタイミングで戻って来て、それやりますよと。これまでのノウハウで、相手の業界を走り回って機微扱いプロセス考えて整え、満願とはいかないものの、取りあえずうまく行ってます。

そんな3度目の正直だった訳ですが、経験的に一番の障害はなにかといえば、身内です。

物事成立させる為には、メジャーなプレーヤーに働きかけなければ何事も動きません。そこは、相手の業界を知って地雷を踏まない様に機微を考え抜いて進める訳ですが、当座安全なシェルターで「大人のエロ本」的に溜飲を下げているばかりの人々には、それが出来ない。特に内情苦しくなる程、仕事より椅子取りゲームに長けた連中が残りがちで、知見は偏り狭くなり判断できない。
 
メジャープレイヤーの賛同者をお呼びしたと騒いでいるので、どれどれと覗いてみれば、その業界の意思決定とはおよそほど遠い、むしろネトウヨとつき合っている事で逆に食ってるオピニオンリーダー的な人間だったりする。一方、私の様にガチで外部と当たる存在が、自分達の安寧なポジションと気分を保全して肯定する事にならないのであれば、合理的な大同小異の判断等つかず、ムードで、結果意思持ってネガキャン張って潰しにかかられるのと同じ様な事になる。

この様な自分の居場所から出た事が無い、社外の経済合理性を無視する、言ってみれば、ネトウヨ、反原発デモ的な連中が社内世論を形成してしまう事が一番の障害です。その後物事うまく行って後も、そのような人達は結局は変わりません。

むしろ、手柄を掠めとることを狙って自己実現だけ考えている連中の方が助けになる。その価値や、自分で出来ない事を判ってるからです。合理性を持っている。


ちょっと救いが無い用に感じますが、希望もあって、安全圏に居られずに、生活かけて、現場で丁々発止を一緒に経験する人達は学ぶ。かれらは傲慢になる隙間もなく、世論的に無理だと思っていた局面を工夫でなんとか進めて行く現場を目の当たりにするので、驚きや達成感も大きい。世論と現実は解離しており、世論はむしろ扱うものだとわかるようになる。


つまり、中田さんの言う事とおなじです。現場の合理性で世の中まわっている。


それを身で知らずにムードに乗って語ることなど、ここまでつらつら書いて来ましたが、物事進める上で障害でしかない事が多い。追い風になっても、課題と直接は関係が無い。


一家言あると自分で思うような人ほど、是非読んで欲しい一冊です。


しかし、このムードというものですが、やはり日本人は流されやすいのかもしれません。snsの過剰な隆盛というだけではなく、はるか昔から、重要なモラルやしきたりは、「外孫」にやらせると言うことがあります。つまり内輪だと同質化が強すぎて、外の因子を呼ばなければグダグダになるという事を昔から理解していたのではないかと思っています。


長くなりすぎましたので、この辺で。
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「コンサルタントはこうして組織をぐちゃぐちゃにする」を読む。 [本]

先日電車待ちで駅構内の本屋を物色。

駅の本屋は棚が限られますから、普段新書の新刊くらいしか買わないのですが、「申し訳ない、御社を潰したのは私です。」というキャッチーな帯コピーが。
「コンサルタントはこうして組織をぐちゃぐちゃにする」というカレン・フェランという人の書いた本。手に取ってめくってみれば思わずそうそう!と吹き出す記述が溢れる。

冒頭読んでみると、

--------ここから--------

統計的には正確でよくまとまった研究でも、残念ながら経営理論の正しさを証明できる物はほとんど無い。多くの場合、経営理論は論文の査読や同分野の専門家同士による評価(ピアレビュー)や第三者による検証すら行われずに、従来の知識体型に組み込まれてしまう

---------ここまで-------

とある。
そんな素晴らしい、正しいスタンスで書いてしまったら、相当ガチンコの内容になるだろうと。今や大企業は戦略、プロセス管理、KPI、マネジメントにコーチング、人材育成、人事評価の期待貢献、実績評価に至るまで、無理矢理な翻訳語で意味解ってねえだろ的な状況も多々ありつつ、経営、事業運営、人事評価全部をそれに乗っ取り行っている企業が主流。

そんなこの15年ですから、さすがにそれをガチンコで全部ひっくり返すような事書けないんじゃないの?と思って目次を見る。

1.「戦略計画」はなんの役にも立たない
〜「画期的な戦略」でガタガタになる〜

2.「最適化プロセス」は机上の空論
 〜データより「付せん」の方が役に立つ〜

3.「数値目標」が組織を振り回す
 〜コストも売り上げもただの「数え方」の問題〜

4.「業務管理システム」で士気はガタ落ち
 〜終わりの無い書類作成はなんのため?〜

5.「マネジメントモデル」なんていらない
 〜マニュアルを捨てればマネージャーになれる〜

6.「人材開発プログラム」には絶対に参加するな
 〜こうして会社はコンサルにつぶされる〜

7.「リーダーシップ開発」で食べている人たち
 〜リーダーになれる「チェックリスト」なんてない〜

8.「ベストプラクティス」は”奇跡”のダイエット食品
 〜「コンサル頼み」から抜け出す方法〜

これはガチ(笑

メッタ切りの目次だけで、宝島のライターさんが書く諧謔本、社会活動家が書く告発本であったとしても十分面白いだろうと思う訳ですが、実際長年コンサルをやって実績もある著者が、全て自分の取り組んだ案件と知見を用いて解りやすく説明しており、コンサルの弊害をなんとか解消しようと努力してきた中で、何をやってはいけないか、意味があるとしたら何かを赤裸々に書いた良書でありました。

この本、特に、今時なグローバルかつ傾きつつある大手企業に御勤めの方、この10数年訳解らず導入され社内に混乱が引き起こされる中で、絶対おかしいだろ、と思いつつ、最早その遂行が評価になるのでしょうがなく折り合いつけてるとお嘆きの貴兄(はとんでもなく沢山居るだろうと推察しますが)に猛烈にお勧めします。

読んだ人は、幾多の悲喜劇を再体験し、かつそのバカらしさの説明ができる様になるでしょうし、もう1冊買って、手段が目的になってしまっている連中に送りつけたくなるであろう事必至です(笑

世の中の大抵のウソは、架空の事象を追加する事でなく、ある事を意識的に言わない、主体を変える、時系列を曖昧にしたりズラす事で出来ているというのが何度か書いてる私の持論ですが、証明されても居ない理論の帰納やら演繹やら微分したものを確定事項としてセットされた、ツール類を完璧に回そうとする事のばかばかしさを、雨後の筍のように湧いては消えるダイエット法と変わらないと解りやすく言ってのけてくれます。

戦略そのものも、立案時に状況を確認する以上に大事な意味はなく、幾多のツール等も、良い的確なコミュニケーション以上の意味はなく、全ては固有の環境の元で考えて行かなくてはいけないと。ツールの進捗や指標だけを評価の基軸とする事のバカさ加減、これが読んでてしみじみよく分かります。日本は過剰なまでに、まるで「○○道」の様に行う人々も居て、やっぱりその辺民度かなあと思ったりしてしまいます。それだけやってて食えるなら頭使わなくていい分楽だからね。

 最後に別の視点で少しこの本を捉えたい。

このblogでは、結構カレンさんと同じ様な事を沢山書いて来ました。昔はこういう事を社内の人間に言えば、話しにくいヤツということになりましたが、カレンさんがいるからもう百人力さ!(笑)つまりは、言って良いという事なのでしょうかね。

実際この辺は、竹中、小泉政権主導で最も花開いた領域です。
規制緩和の売り渡しを進める道具として、骨太にやって行く為に皆さんコンサル的手法を導入しなければ行けないと、それが企業のコンプライアンスやアカウンタビリティにマンダトリな(笑)事とされ、やらないとグローバルなエクセレントカンパニーになることは出来ないし、各経済誌も煽るプロパガンダの中で、株主と役員主体の報酬へ給与からごそっとシフトし、ホワイトカラーもエグゼンプションで、さもなくば赤福だぞみたいな(笑

その視点と、事業意思をぶった切って、管理手法しかのこらないと言う点は、随分書きました。ぱっと思い出すだけでも以下のエントリで書いてます。

http://zutsuki.blog.so-net.ne.jp/2013-08-25
http://zutsuki.blog.so-net.ne.jp/2011-12-04
http://zutsuki.blog.so-net.ne.jp/2011-11-06
http://zutsuki.blog.so-net.ne.jp/2010-12-18
http://zutsuki.blog.so-net.ne.jp/2009-10-12


私的には、カレンさんの本が人口に膾炙する形で出版された、という事は、

1.もう日本企業から吸い取ったからいいや、ガス抜きしよう。
2.悪いのはジャパンハンドから官僚でなくみーんなコンサルであったと尻尾切り。

なのだろうかと邪推したりします。すでに中小企業にまで増税同様の消費税up、大きい企業はコーポラティズム寄りになりつつある中、関係ないのかもしれませんが。

出版背景はおいて、本自体は、とても面白いのでオススメ!


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「アメリカ政治の秘密」を読む。 [本]

新春一発目に何を書こうかと思ったのですが、
半年以上あっためてしまった古村さんの著作の書評を少し手を入れて上げます。
まず、この本は必読と最初に書きます。

古村さんの前書きに、お忙しい方、興味のない方は後半のジャパン・ハンドラーズの部分を先にお読み下さいと書いてあります。確かに後半素晴らしいのですが、ジャパンハンドの資料的に読もうとする方でない限りは、絶対に最初から読む方がいい。

何故か。
アメリカの外交政策を決める要素や、アメリカ内部の事情や流れとしてこうなっているという状態が、バキッと判るからです。自分の仕事、会社を見ている様な感覚でもの凄く淡々と判るんです。
恐らく古村さんがアメリカの大学で学び、一方統治される側の副島史観を持ってそれをするから、ムダ無く日本研究のポジションのリアルさがダイレクトに伝わってくるのだと思います。

前半を読んだ時思い出したのは、昔、仕事で、どう考えても売れないはずがない商品が不振で、実情探りに出張した時の事です。

海外相手に仕事をした事有る方なら頷く部分があるでしょうが、こういう場合、大抵販売会社がさぼってる、もしくは価値感が十分に伝わっていないと本社で騒いだりする。しかしながら実際はそれ以前に、その地域の店舗に置いてもなんだかいい知れぬ(笑)違和感があったり、パラメーターや使う際のプロセスが現地の仕様からどうにもズレていたりということが、半分くらいはあるものです。

その時も、西海岸のある店に最初に行った時に、いきなり、これ確かにジェレミーやゴンザレスが言ってる通りでどうにも難しい。いや判るわと体感してしまった(笑
古村さんの本の前半を読んだ時、その時のような気持ちがしました。

この本は副島先生の主著の続きとも言えるのですが、つまり、あのような文脈と常識が、あのようなダイナミズムで流れているとした時に、我々が日本で思って、グダグダ言ってる基準の常識や思い等は届く訳がない。

仕事であれば、商品の性能を出している部分はそのままに、市場の文脈で落ちるところに落ちる様にパッケージングを全面刷新する為の許可や時期やコスト検討にすぐ取りかかる。つまりこういう実感を得れば、閉じた中の理念でなく、プラクティカルな対策を考え出そうとする大きなきっかけになります。

どんなに学説を読みあさったって、原著読んだって、それが書かれたネイティブの国において、何を当たり前とした文脈でどういう「感じ」「雰囲気」で動いているのかは中々判らないので、こういう本は極めて貴重です。
この本の前半で表されている”ノリ”を、皆大学で肌身で感じるくらいになれば、多分日本は自然に変わるんだと思います。

でも絶対そうならない。いや絶対と言ってはいけないですが、極めて難しい。
それは、日本では、私の経験で言うところの、

「売れないのは販売会社がおかしいという日本の本社の方々」か、
「日本語を少し喋れる”便利外人”をあちらの代表と見る方々」、
もしくは「商売自体の経験が無いそれ以前のレベルの方々」、

で殆ど教育機関は占められているように思うからですね。

全部日本人の典型でしょう。
”便利外人”なんて、ああいうアメリカ内部のノリの中において、長年日本に張り付いて中央に出る事が出来ない連中って、どういう方々なのかと、こういう本を読むとシュッと解る訳です。

ロバート・ケーガンの本も翻訳されていますが、これもまた同じ様に面白かった。アメリカのネオコン自身の現在的主張を知るという意味もあります。
それに加え、きっと、少なく無い、本を読む知的なクラスのアメリカ人が、これを読んでフムフムと思ったりするんであろう筋立てというのは、こういうものなのかと理解する。

副島先生は今やもの凄く多くの層を相手にされているので、遥かに広い範囲の人々、つまり上に書いた典型の人々を啓蒙しなければいけない。しかしアメリカ政治の研究で言えば、古村さんの著作や、中田さんのオバマが成立する過程を書いたパワーエリート解体新書等で、「アメ政」の現在を読む事が出来ます。オススメ!
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