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プレモダン国家エリートの文学。 [日記]

真夏な日差しと空気になってきました。
1年で一番好きな季節です。

その昔、夏休みの課題図書で、夏目漱石など読まされた訳なんですが、前の日記書いてる途中で「モダン担当公務員」の存在というのは、文化にかなり広く影響しているなと思いました。
少しズレた話しになるので、別エントリにしました。

 元々幕府の陰陽、蘭学関係のラボをベースに、東大を始めとした帝大以下の教育機関を作って、対外”モダンねぶた”を作る人材、国内の啓蒙に勤しむ人材を育成した。
子供の頃、田舎の爺さん婆さんは、公立の学校の先生レベルに「様」をつけてましたが、実際教師もそんな感じでモダン啓蒙役として尊敬もされていた。大津の事件の先生の様ではきっとなかったでしょう。

民を率いて頑張り、国民はそれに従って報国に邁進した。戦前は、官僚にとって存在意義と実際の役割が合致した幸せな時代だったと言えるかもしれません。民草から生まれた優秀な子が、有難くも親や、貧乏だったら親代わりの人のおかげで帝大に行き、よくよくモダンを勉強してお上となって、お国に奉公しなさいよと送り出されて、官僚になった。なので両者の間には愛もあったかと思います。

一方、そんな官になってモダンの本質に触れ、アングロアメリカからは猿扱い。越えられない壁がある事に傷つく。懐かしきふるさとをふりさけみれば、逆に激しいプレモダン度にこの人達は永遠に変わらないと絶望したり、いや、郷愁があるからいいのだと納得したり。

夏目漱石、森鴎外的な、
”プレモダン国家のエリートがぶつかる、モダンを軸とした内外に対する悩み”
このマインドセットが、殆ど日本文学の大きな場所を占めてきたんでは無いか。

でも、前の日記に書いた様に、官僚が崩れて国のバッファが無くなって、モダン≒グローバリズムに直接晒されてしまった今、酒飲んでこれ書いてるまさに私のような町場の一般オッサンがぶつかっている事だよ!(笑)ということなんでしょう。

こと他国付き合いという事に関しては、$=¥360時代までは、殆どの海外渡航が公務や国策ビジネスがらみ、アメリカ側の青田、または上層階級のものでした。
今や若者が自分探しに海外に行って、プレモダン度もぶちまけながらウルルンしてしまう時代。日本人は世界中に溢れ出し、企業もグローバル化でコンプラ違反が国策より優先。誰でも普通に必要があれば海外と仕事をし、個々の付き合いもある。FBの友人に、外国人がいるのが普通。

当然、総量、裾野の広さは民草が上回り、眩しいエリート官僚の憂鬱みたいな物はもうノスタルジーでしかない。アニメ、小説等の空想上のモチーフとしてはよく使われますが。

当然、安定した人気を誇っていた、お上と民草という構図のエンタメ、コーモン様、櫻吹雪や特捜最前線など官公庁ドラマ企画、モダンな外国に褒められたり肩並べたりするエンタメ企画も、最早人気無い訳です。
ポストモダン的無軌道かつ緻密な帰納的職人気質を、モダン係が護送船団方式の計画経済で作ってきた様な、日本の奇跡的仕立てのドラマも、昔は人気あったけど、同じ事はもう出来ないじゃんと皆薄々判ってるので、これも人気が無くなった。

もう、モダンと日本人である事の交差するポイントを生きる事に悩んでいるのは国民自身となってしまった。これから文化もごっそり変わってゆくのだろうと、そんな事を思ったりします。

そうすると、問題はやはり政治になって来る訳ですね。
国民の代表を送る事を真剣に考える様になる。一方、「使命」が消えて、「特権」だけ残ってる官僚側は、永遠に国民をモダン知らずのネオテニーにしておきたい。それがこの数年の綱引きという事になるでしょう。でも、もう不可逆。先は見えてるってことです。

ではこの辺で。
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