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官僚が変わる事が出来るタイミング。 [政治]

いや、暑いですね。。

昔は「全国的に」という天候は少なかった様に思うんですが、最近はそればっかりです。九州から北海道にかけて強い雨に警戒して下さいとか、「犯人は10代から70代の男か女」ってことは全部じゃん!みたいな(笑
雨雲レーダーとか天気図も、日本の上だけとか、日本の背骨に沿って前線とか、変な所で雨雲や台風が常駐したり。冗談で作ったフリップで解説してる様。一体どうなっているのでしょうかね。

 もとい、前回書いたのは、それだけでは不完全で限界があるとされているモダンですが、日本はそこを通り抜けずにプレモダンのまま進んだ。それは、官僚がモダン係をやっていたからだろうと。一方、近年彼らは国としてのバッファは放棄して、今我々個々人がそれに晒されている。そんな事でした。

そうなると、ほんとはモダンな社会の公務員でしか無いはずです。

 昔の記憶を引っ張り出して就職の際の事など振り返ってみると、公務員試験受ける人間はかなり小数派で、その中でもまずは地元に戻って自治体職員、教員という人。上級の資格、例えば公務員の一番いいヤツ、弁護士、会計士等は、それぞれ学部によってどれか選択するという感じで、少し世慣れない受験の得意な一桁%程度の連中がそういう道に進んで、へえーあいつがね、、という感じだった。

バブル弾けた直後とは言え就職先は結構あって、所謂受験地獄の世代としては、これ以上の受験は勘弁。やりたいこと見つけるか、とっとと世に出るかで、大抵の連中は選択枝にも入らなかった様な時代の空気だったように思います。

東大等は、官僚養成校ですからその辺は私学等とは違うんでしょう。
それこそ三四郎池、モダン係の憂鬱も独自の伝統文化としながら、”ならでは”な雰囲気があるのかもしれませんが、いずれにしても、今の中堅どころはそういう人達で構成されている。つまり明確な意図とかやりたい事、使命としてそれを選んだ人等あまり居なさそう。
 その上で今日的に正しい見識と意思を持って、プロとしてのいい仕事をして頂く事は当然お願いしたく、要らない公務は削るべきですが、正しい仕事に対して報酬をケチるようなつもりも1国民としては無い。

問題なのは、
そんな風に「国体」護持的な題目や、対外モダン係の必要性としての側面も消え、国としてのバッファもミニマムにしたのに、自らのポジションだけ、そのまま保持、拡大しようとしている事です。

つまり、必然性、御旗なき、国家の支配者となっている。
国民を本当に主権者とするならば、その主権者がモダンに晒されて生きているのに、メディアも含めてプレモダンな養い難き民草としていまだ扱い、代表として政治家が出れば自らの暴力装置で潰しと。
独立した故亡き集団として主体性を持ち特権を保持したまま、多くの役割と責任を放棄したのに、さらに国民から増税。

おかしい。おかしいのですが、また次の事も事実。

先に就職の際の事を書きましたが、出自を見れば彼らも、良くて、自分等の暮らしを確保した後に、ちょっとは公務員として良い事が出来ればいいな、くらいの人が多そうです。民間企業の専任スタッフの様に、日々大局的に税金を消化する為の当座のミッションがあって、それをどう旨くウッチャルかでしか動いてません。
そうやって企業等は潰れて行きますが、一方国家破綻の責任というのはそれと比較になろうはずもない大変な事。

所が大卒で民間を知らない人が、社会福祉、外交諸々の失策の責任をとらず、官僚シンパの政治家を育て、国民のCS役の政治家を所々でスケープゴートにして、自らは「御勤め」的なエトスで死にものぐるいで生活を守ろうとし、その凝集力で官僚公務員の結束は今や成り立っている。

この辺、高級な話でもなんでもなく、実感として実に厳しい。

「国、自治体の公務をしている人」が、実際は「国、自治体を食い物にしている人」で、国破れて官僚あり、という所まで行っても、きっと生活者としては自分たちを優先しない人は殆どいないのです。目を合わせない様に内を向いて固まる。私が書いてる様な事言われる程にそうなる。

これは議論が止まってしまうイカンともし難い側面です。ホメオスタシスの話だから。
そこからちょっと離れましょう。

で、実は今もやってる訳なんです実は。モダン係を。
それはアメリカという軸でしょう。天皇と国体、一等国という錦の御旗があって、モダン係をやってましたが、占領国のアメリカの御旗に従い、植民地の民草のいきものがかりとしてのモダン係機能を発揮したと考えていい。

その旗が無くなる、それで60年以上ズズイと津々浦々にまで広まっている保身と蓄財官僚ギルドのシステムが役に立たなくなった時、エリート(もどきも含め)彼らは居る理由が必要になる。そこがまた転換期だろうなあと思っています。

実際アメリカの様子を見るにつけ、それは実はあんまり遠く無いと思う。
その時に、その旗は国民政治であれば良いなあと思う。そこは国民も成熟しないと、モダンに直面して先に進んでいないといけないだろうなと。

結局頭が短絡して櫻吹雪の金さんや黄門様を待ち望んでは、元の木阿弥ってこってすね。
誰かなんとか係がやってきます(笑

そんな今、「国民の生活が第一」があるのは素晴らしい事です。
マニフェストの際にも思いましたが、「アメリカ・ファースト」国内を優先しろというかけ声はアメリカ保守では、伝統的な物ですが、「日本、第一」だと、ウチの場合国が破れても有る官僚が国民を切り捨てて生き残ってしまう。
だから「日本の”国民の生活”が第一」というのは実にシンプルで、良く考えられた言葉だと思いました。簡単すぎて、誤解して、そこでまた小沢さんを、黄門様と思ってもまたいけないのですが。

ではこの辺で。


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