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みんなある意味認知症。 [日記]

言葉を選ばずに言うと、疫病神というような存在がありますね。

そういった事や人等、誰しも多かれ少なかれある物だと思うんですが、振り返ると自分は割とそれを取り込んで生きる方を選んで来たような所があります。

それは長年の経験から、最後には良かった事が多いからで、最終的には意味が無い神様は去るという事もある。自分にとっては、そういう存在が、世の中と自分を固定する新たなくさびになってくれる場合も多い。

でもこの歳になってみると、見えている道のりが、もしかすると、自分の人生でこなしきれないかも、という場合も出て来る。そう言う時は途方に暮れる。どうした物かと思う時があります。

きりがないのに自分にはきりがある。

差し詰め、仏陀の出家はそんな頃かと想像したりしますが、極端な話をすると、認知症の介護の果ての事件は、そういった事に考えが全く及んでいない人が、どうしようも無い所まで追い込まれ、その果てに起るのだろうと思います。

子育てや介護を経験してこの世を振り返ると、どんな人も所詮(自分も含め)皆認知症とそう変わらないのではないかと思う。

自己保存の強い人程、他の回路が遮断して認知症的になる。その場において物事広く見られる人は、カタルシス的不満のゴミ箱になる。

そんな人はどうしたら良いか。

結局はある程度個々の欲望を認めながら、宗教やイデオロギーに依らずに、大きく、廻りの人にとってサステイナブルで良い方向に向かう様な構えや動きを間違わずに取れる人でいる、ということになって行くんだろうと思います。

ここで、小さなカタルシスの為の、嘘や欺瞞に耐えきれない人はちょっと難しいのだろうなと。そして逆に、大きな事が、小さなカタルシスの為に無かった事にされてしまったり、その機序を使われる疫病神も多いのだろうと、そんな事を想像するこの頃です。

今日は短く、この辺で。

タグ:認知症 介護
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