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蟻の一穴か。 [選挙]

国政選挙は勝手が違う事になるかもしれないと前のポストで書きました。
そしてそうなりました。

れいわ、N国共に議席を確保し政党要件を満たした。
メディアで全く無視された団体がです。過去あり得なかった。

最早結構な人にとっては、例えば日テレとYouTubeというと最早後者なんではないか。身近かつ確固たるメディアという意味では。既成メディアは不偏不党的な立場から、一気に極右、極左、宗教、団体のサポート、と言う様な鮮やかなカラーを基盤に持つメディアといつしか認識されちゃいます。

そうなった場合、全く立場がなくなるメディアも出て来るでしょう。根本的立場がなくなりそうなメディアに呼応するようにN国党もネット上では非常に目立った。

ちょっと引くと、産業界的にプラットフォーマーになれない日本というのは久しい話題ですが、政府官僚、既成メディアはどうするのかって事です。ネット上でも政治部長会議したい訳です。
と、すると大赤字のあのメディアを核として行くのでは。F社長が、いずれ受け皿いるよな。。。そう思って投資を続けているなら、これはお見事な慧眼だと投票所に向かいましたが、れいわ、N国状況見ようとすると、アベマばかりで、やはりなと。

どこに投票したかって?
もちろん比例は山本太郎、選挙区はN国。
小沢民主党以来の慶賀です。

ここから、小室直樹先生から教わった、アローのジレンマの”逆パターン”が起こってくるに違いないと思っています。変数が健全なるバランサーであればあるほど。

さあどうなるか。
スト破り系の連中はどう出るか。いや、もう出られないのではないか。

一点、宮迫、そして京アニ。タンカー魚雷なんて全く感じなくなった我々に前日にドカン。もっともショックを与えるこの事件に関して、宮崎駿氏がどう思っているか、意見を聞いて見たい。

この辺で。
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ポンコツ化した政府行政等。 [選挙]

最近はすっかり見にくる人もいませんが、このblogを昔読んでいて頂いた人にとって懐かしい話かつ、喫緊でもある政治の話。イランの仕業とかいうタンカー攻撃で、真偽は別にしてちょっと思う所がありました。

元々、小沢民主党の機会をまともに使う事が出来なかった国民ですから、その後の震災を天佑とした民主クーデター政権、野田さんから阿部さんの、おもしろ学芸会的政権受け渡しを経て、現状は推して知るべしだった。

だから、この数年、昔より酷い事が起ころうがなんだろうが、その前に散々書いた事がそのまま実現化して行っただけのこと。もう、書く気など失せてそのままです。

全部身から出た錆で、政権が安倍になった瞬間想像できていた批判が今更凄いと自分は思うのですが、浮動票の本読みクラスはこのように思っていると思います。

で、タンカー攻撃があんまり間抜けなので、市井の人さえも生暖かく見守っている状況な訳です。結構初めての事かも知らない。

メディアのシステム内ではアジェンダのようで、色々露出されるわけですが、誰も「ショック」を受けない。ほんとかねと読みとばす。
この年月で災害も度重なった。年金その他の話も、どうせ悪いようにしかならない、馬鹿どもが騒いでいるけどどうしようもない、と思って見ている割合が増えた。つまりもうダメだと思っている。

これはまた別の事を意味していて、官僚公務員、士業の裾野からメディアまでの一式のやりざまと制度が、もう古くてワークしてない。人心から完全に乖離してしまっているように思えますが、どうでしょうか。何しようが、見通されていて全く効果がない。
そんなの関係ねえ。日々淡々と稼いで生きていくだけだと。

国民からそのように見られている公務員側も、後ろめたさは増している筈。メディア露出その他、独自の年金などで守られつつ、上級国民騒ぎが良い例で、いい家住んで、安定した暮らしやってるわけです。準公務員など裾野を含めると2千万人存在すると言われる人々が見かけ同じようでありながら、隣とは全く違う貰うだけの人生を過ごしている。

国営企業だったあたりも含まれます。電力とかね。税金使いまくっている訳で。

これだけ酷くなっていて、国がもうやばいと言われている中で、自分達の給料は上がり、利を囲い込むだけで、一円も自分では稼いでいない。言いはしなくても、幾ら何でもやばいんじゃないかと思っている人がいてもおかしくない。突然、子には、とにかく礼儀正しく、あまり回りと関わるななんていい出したりして。

ここで、じゃあ全員に薄く広く配ればいいじゃん、という考え方もありますよね。
2千万人食わしてるんだったらそれを5倍に薄めればいい。という言い方をする人はいないけど(笑)でもそんな配分で考えると、たまに出てくるこの案も結構いいかなと思います。元気な人には社会貢献の公務員業務をやって貰って。

後は逆ですね。
「民間」という下に見た言い方は激しく嫌いですが、準公務員的な利の回る天下り以外は民間転身というのは公務員は聞いたことがない。税金を払ってくれる側に回って、稼げば良いじゃない。これから公務員は、特別な能力を発揮する人以外は、全部税務署のように見られる様になってしまうのでは。税金を払う迄どうやって営利企業はやっているか、個人は稼いでいるか、一生体験せずに、食われっぱなしも癪ですが、逆にそのまま人生を終える等もったいないと思わないのだろうか。投資の効果なんかも見えてくれば、どの領域を育成すれば良いか等良くわかるでしょう。

Netflixの時代ですから、(時代劇含め)政府職員系、士業のドラマしかなんで日本はないんだろう?と思う人も増えるでしょう。金稼ぐ人は常に悪役ですからね。いかがわしいことをしているとか。稼ぐ側は常に細腕繁盛記とか、中小企業の応援とかそんな感じ。メディアが70年もそうドライブして来た。

ポンコツなシステムが税金にかじりついている図を、勝手にやってろよと見る人々が増えた、ということは、国政選挙等あるとどうなるんだろうか。

また投票率が低い日程になるんだと思いますが、少し勝手が違う事になるかもしれません。
左を割っている人もまた、ポンコツシステム上の人間ですね。その自己実現は嬉しいのだろうか。不思議なものです。

この辺で。
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認知症というならば。 [日記]

重い話をするわけではないんですが、認知症と付き合うのが長くなるほどに思うことがあります。
「認知に問題ある人」と単純化すると、認知症でない人の方がグッと少ないのではないかと思います。自分も棚上げできません(笑

今母の認知は、自分の子供とクロスして1年くらい経ったかというところです。
完全にはできないけども、ほぼ大方察して行動し始める様になった人間。一方は、残り香の様に何かの作業で完璧に手が動いても、全く意味がない行動で記憶も定着しない人間。

介護の方は甲斐のない子育てみたいに言われることもあります。
社会生活から見ればそういう面もある。確かにそうなんですが、こんなにわからなくて不安で、一生懸命に辻褄合わせようとして生きているのに、所々にグッドマインドを見せるその最後に残る気概に尊敬を覚えたりすることがあります。

それを見れば、正気の人間なんて、時間あればなんでも出来るとおもうし、子の方は、新たな横並びでその階層で身につけろとされている認知症的な前提を植えつけられる事無く、うまく社会を扱って育って欲しいなと思います。

貴重な経験をしております。
タグ:認知症
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古い日記を見て(日本語で生きる事についての続き)。 [日記]

アッコさんのお話ではありません(笑

先日PCの整理をしていて、古い日記を見つけました。

時々付き合った方はいても、20年以上独り暮らしですから、拗らせ具合が恥ずかしい、でもポツポツいい視点もなくはない(笑)と思いながら読み、一方で相当に遠くから見ている自分に気づく。よくあるお話ではあります。

拗らせ具合に関して言えば、当時は仕事を除く日常のタスクなんて無い日々ですから、その中で好き勝手やって、自由に想像をめぐらし、延長戦の中2病もたっぷり時間をかけて年齢なりの納得を試みてきた訳でして、枕草子から徒然草的になかなかそれも面白いしミクロに鋭い視点も多い。纏めれば需要もあるか(笑

今や家族がいて育児介護があり、生まれて半世紀近く住んだ土地からかなり離れ、それまでと継続性のない暮らし。新しい事ばかりで余裕がありません。
結婚は幾つでも良いと今でも思いますが、次の主役、子供がいるフルセットの家族持ちはまた違うかもしれません。一人やパートナーと重ねた年の功はこれがあまり役に立たない。
独身中年の癖を完全に外すのは難しいもので、一生懸命やっているつもりでもパートナーに迷惑をかけている部分がある。

日々是反省というわけですが、そんなお恥ずかしい視点が一つと、他に、2つ違う視点が芽生えました。

身辺の変化は、新たな街で人格リセットでは無く、地方の小都市近郊の田舎の駅に越しながら、仕事の場所は変らない、つまり、行きか帰りに特急を使う必要のある遠距離通勤です。
またその仕事も以前は国内商売だったけど、今は海外主体。兼務者以外いないチームで介護を何とか調整しながら海外に行くことが多い。お大名でなく、一人二人で行って、草臥れて靴はいたままベッドで寝る様なタイトなヤツですね。
そして介護は、故郷というには微妙な”旧”新興住宅地まで往復100キロ以上かかるんですが、毎週末に不十分ながらこなしています。

こんなハードな暮らしがもう2年。
昔の自分からすると、良く持ってるもんだと思いますが要は、職住近接、好きな街で狭い範囲に生きていたのが、膨大にストレッチされて毎日が旅、出張みたいな暮らしにガラリと変わった。これはインパクトありました。変な比較になりますけど、心の中で、震災の時と同じ様なコトが起こった。

前に少し書きましたけど、震災の時は音楽関連の仕事をしていて、日本の楽曲で震災以前の物が殆ど聴けなくなった。個人的にも色々とあったのですが、所詮戦後は砂上の楼閣で、その前提で作られた曲だと思うと、浮かれるも悲しむも、ひねくれるも、箱の中。
何だか虚しくなってしまったんですね。戦後の人が戦中の曲を聞かない様なもんでしょうか。

今では聴ける様になりましたけど、音楽性そのものを聞いてる。一次体験ですね。この曲やっぱり凄いな、という様な。
今でも「あの頃」的な、カラオケ要素、郷愁、懐メロ、特に人と同時代性を懐かしみながら、と言う聞き方はやはり全くしません。老境を迎えて、また変わるかもしれませんが。

今回、同じ様な事が起こった。
必然的に行かねばならぬ場所が国内外増え、全く前提の違う土地に赴いてそれぞれこなして次へいく。生活全般が旅とか山行みたいになって、以前の日本首都圏都市型独り者暮らし、その頃確固たる前提であった事が何だかとても小さくなってしまった。
これが2つ目の感慨。古い日記の中身が、何だか遠い昔の様に思えてしまった。ある街の空気の中で豊富な時間を過ごす様な事はもう無い。実存的になるとすれば、むしろ移動中、カフェ、一杯飲み屋。ノマドというか、ホモ・モーヴェンスというか。

そして3つ目。
そうしたノマドにも帰る場所もある、と言いたいところですが、それは言ってみれば建設進行中なのです。分かりますかね。それは新しい場所に次世代を揺籃する場所として自分が作っていく。

今、何も「こうなっております」が無いんです。
この状態で昔の日記読むと「昔の俺の頭って随分フリーライドだったのね、過去のラインダンサーであったのね」と思ってしまうと。

そういう事になります。

実はここからが書こうと思っていた本題になりますが(笑
前に「日本語で生きる事について」というポストを2つに分けて書いたことがありました。

構造的に戦後も別の形で生かされた明治以来の立て付けが崩れ、日本語で知を積み上げる事がもうほぼ出来ないので、里に帰った際に親と話す郷愁のローカル言語になっていく、それでも年だし、ここで日本語で生きていくかな、という主旨。

その後、日本の知性を揺籃していた社会主義的な人の固まりは、戦後の砂上の楼閣が揺さぶられる中で自縄自縛で粉々になり、右は保守から外れ切った現政権に代表される知性の無い雰囲気番長となった。
重要な商売も研究も、日本語では最早ドライブできず、積み上がらない。日本は人頭と金溜まりという存在に落ちつつある。

逆に海外のモラルに縛られない日本人の創意工夫の溢れ出る場として、漫画的なものが評価されていますね。これまでのモデルはうまく行かなくなった。観光立国というのもいいのですが、これもなるべく減らさずに止まった時を切り売って行くという商売ですから、新しいものを生み難い。整備をして拾ってゆく商売の様に思えます。

さて。この暮らしの変化で、自分で立って食って行くには英語(共通語)でやってくしか無い。日本語内では完全な椅子取りゲームになってしまう。税金以外に金の出所ないですから。
誤解して欲しくないのですが、別に日本語捨てるとか、ラペラペな兄ちゃん姉ちゃんをとにかく育成するということでは無い。

日本語でもちろん暮らして行くし積み上げる努力をするんですが、何というか、海外の日本人見ると、不思議な気持ちになるんです。仕事の人も、観光の人も、住んでる人もいて、昔よりはるかに喋れる人は増えた訳なんですが、今だに一つとても目立つ事がある。

相手とのコミュニケーションの中でどうしても何かを前提としている、それは状況や、英語屋さんポジションや、自分の日本的背景を知ってもらってるとか、そういった感じで。分かりますかね。所謂「こうなっております」ですね。ああ、あなた日本人ね解ってますよ、ガイドがいるんですね、と聡い外国人に気付かず日本人対応してもらってる事も多い。

兎に角、相手と相対で自分が良いコミュニケーションを引き出す、場を和ませ、重要な点を共有し、自分のしたい事、相手のしたい事、それを作っていくという様な会話をあまり聞かない。何で来てるんだっけと。「こうなっております」と言いに来たの?みたいな。

今だに世界の土俵上では、大人としての個がとても弱いのかもしれません。もしくは自分がやっている事が、外の世界と連続していないという事でしょうか。国内と外国は違う場所と。
メリケンさんに、お使いで何か持って行ったら、意外な対応されたとか突っ返されたとか殿様の顔真っ赤だとか、居酒屋で話している熊さん八っつあん、という様な光景を帰りのJALで良く見ます(笑

人はどうあがいても今あるものから立ち上がるしかない訳ですけども、新しい価値を生むには、外の視点を繰り込まないと生まれないものです。自分主体でビジネスしていかなければいけない。
人間としては概念の豊富さがとても重要ですから、無い概念があれば理解に努め吸収し、日本の概念が通じるか否かを試す事を個々人が英語や中国語、または他の言語でやっていくことがきっとまだ見ぬ将来にとってまたとても大事だろうと思う次第です。

そういう事でした。荒い展開かつ分かりにくくてスミマセン(笑

この辺で。
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差別について。 [日記]

差別と言うものがありますね。

人種国籍、宗教、病気や障害、地域伝統のもの等いろいろありますね。
そう言った属性でなく、今となってはごく一般的な、例えば婚姻、親子関係などでも片親であるとか、連れ子であるとか、そう言う事がふとした節目で問題になることがある。

親が戦中ですから、親世代、その前など、後添えだったり連れ子だったりと言う事は良くあって、血の繋がりがない祖父がいました。孫として分け隔てなく可愛がってもらいました。
ウチはずっと都会暮らしで、子どもの頃は、当時少なかったのですが、海外とも付き合いがあったのでそんな話は問題にすらならない。当たり前だからです。

そしてもういい歳ですから、そんな事すっかり忘れていた訳です。

所が、割と近い人で、その事が、実はなんだかあらぬ疑心暗鬼も呼んでいた事が先日あった。

自分が何もない人程、できない人程、ネトウヨやサヨの様に、何か既にある権威や御宣託に依拠して人を腐したりする面があるものです。ネトウヨは最早“日本”しかなくなっているからそうなる。サヨは“平等”ですかね。そっから微分積分されていろんな人がいる。
その人は家柄のクリーンさがそれなのでしょう。

「いやーそれは勝手な誤解であって。。。」と訂正しているうちに、段々思い出してきたんですよ。あの時も、この時も、あの妙な態度はその差別的疑心暗鬼だったのかと。

振り返ると、楽しい想い出のたくさんある親の村ですが、数名所謂「本家」系の人間では自分をあの息子かと色眼鏡で見る人もいました。八つ墓村じゃないですが。
本当に山村部落なので、子供の間にもそういう空気はありました。子供は純粋に陰湿な面もあるので、それ以前に都会者というだけでもイジメの対象になっちゃったりする訳です。
現地で足を怪我して長逗留していた事もあり、そんな時はホントに危ない。弱るとさらにやってくる。そういう時に守ってくれるのは立派な女の人ですね。
ただ、最終的にはガツンと対抗するか、遥かに超えるかしないと道は開けない。

半世紀生きたオッサンには、そんな子供の頃の怒りや軽蔑、憎しみ、悲しみは、最早そんな事もあったなあ、この時代でも相変らずそんな人いるんだな、くらいの物で、溜息と共にフッと笑いが出てシミジミとしたんですが、

同時に予想もしない意外な感覚があったんです。
スーッと体に芯が戻ってくる様な。サウナで言えば整った感か(笑)、それがあったんです。つまり、自分の基礎となるアイデンティティを確認して、力が湧いたんですね。

克服して生き続ければ、それは決して悪い事ではない。良くも悪くもアイデンティティな訳ですから。

人の関係が過剰な西日本側の人は、そう言った事がちょっとtoo muchで制度としても差別を再生産、固定化しようとしている様にさえ見える事があって、それもどうかと思いますが、なんというか差別を問題にする時に、原因を消してしまうのではなくて、それぞれのアイデンティティとして持ちながら、酷いことはせずに、克服して生きていけば良いのだろうと。

それを逆に隠したり、過剰に旗頭にして他を受け入れない、これがBADである様に思いますね。

久々で妙なテーマとなりましたが、そんな事を思ったので、ちょっと書いてみました。

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