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The Shock Doctrine 関連の転載7 [The Shock Doctrine]

2009年04月27日23:40
「The Shock Doctrine ラストスパート1。」
の転載です。

もうすぐ選挙ですが、
我々がこれから考えるべき部分、各国ショック・ドクトリンを抜け出して以降の部分に入って行きます。

◇◇◇
(転載始め)

土曜は夕方出かけたくなって箱根いきました。雨の日は人が少なくて良い。

体調悪いんで温泉。
ラパン号で箱根へ向かう。下道は混んでましたが、大雨の高速に乗るとガラガラ。小田厚に入る頃には雨が切れて全く車無し。視界にはいつも1、2台程度。
ターボの効く3500回転以上で少しだけ流れより速く走る。オイルも変えているし、気温が低いんで調子がいい。

6年落ちの軽は、轍だらけの荒れた下道だと、さすがにトレッドが狭いのでひょこひょこしますが、トルク少しかかった状態で操舵を車なりにあわせてほんの少し積極的に走らせると、乗り心地がいい。高速だと100km/h手前くらいが良し。

 昔、やっと借りた階下の狭い駐車場に入る小型車を探して居たとき、見かけてピンと来て、運転席に座ったら風景が良くてやられて購入。当時は軽に抵抗が有る人も多くて、同じ値段なら小型車買えと言われたものですが、イジったり塗ったり。楽しいクルマです。

乗ってみて思うのは、ハイトワゴン、重い車、固い車ばかりの中、足回りは本質的に固まってるので、この時代案外貴重な乗り味かもしれないと思う。

800キロしかないから足は柔らかで弱っちい。でも軽い車体と小径の軽いホイールで問題ない。
ボンネットあるしサスのストロークは長く取れ、全高が無いからロールセンターを無理に下げなくていいので腰のあたり。だから挙動と体が一体で、腰下を左右に揺すられずに済む。
ターボがあるので車体姿勢をコントロールするくらいの動力の余裕はある。

昔の一般的な市井のクルマというのは、こんな感じの素直で鷹揚な乗り味だったように思う。
物事はバランスが肝要で、無理すると、無理を重ね塗りして答えはどんどん見つけにくくなって行くけど、欲張らなければ本質は単純なもの。

 例えば、土鍋で飯を炊くと圧倒的にうまいし、冷めても旨い。水加減は結構いい加減でいい。かつ、香ばしい匂いがしたら火を止めてほっとくだけの10分くらいで済んだりして、割らなきゃ孫子の代まで持つ2千円の2枚蓋土鍋。
吹きこぼれ対策とタイマー、保温以外に、電気炊飯器に5万も6万も払うのは一体何の意味があるのか判らなくなったりする。

 土鍋で炊けって訳ではないんですが、過剰な性能や見かけ、見栄を気にする気持を捨てて、得難くなった本質に意図的に回帰するという事は、なんというか贅沢といえば言えるし。そういう思考は大事になって来ている様に思う。

箱根について、温泉街を抜けて行く。

 で、そろそろ行きましょうか。Naomiさんの本の終盤。

バックラッシュの結果、ラテンアメリカは排外主義へ向かわなかった、民主的で社会主義的政策を取る思想は別に死んだ訳ではないというあたりでしたか。

チリのピノチェト以前のアレンデ、ゴルバチョフ、南アと、スカンジナビア系の社会主義的経済政策を取る民主政体、
銀行や鉱山が国有であってもそれと別に自由経済はちゃんとあって回る民主政体を皆目指していた。

でもブッシュ中心に、お前らもう歴史は終わりだ終わり!(笑)と、ネオリベラリズム勢力がまさにプロパガンダと一緒にショックで押さえた。それがピノチェト、エリツィン、テンシャオピンのタンク、戦車であった訳です。
暴力で押さえ込まれただけで、人の頭から消え去った訳でもなんでもない。

ワシントンの政策的には、この民主社会主義は、全体主義より遙かに危険な最大の敵として捉えられていたそうで、CIAの記録で残っているのですが、そういった勢力をスターリニズムと同様の独裁者だというプロパガンダを展開していた。

昔を思い出すと、確かに新興左翼政権=武力独裁政権、もしくは劣った原始的な政権みたいな印象があって、そう報道されていたんだと思います。それはまさに、「歴史の終わり」の中で、プリミティブな段階に位置づけられている政体モデルでした。

シカゴの肝いりでの独裁自由主義時に受けた、痛み、苦しみの記憶が新しい南米地域は、ヨーロッパやアジアの様に、排外主義、全体主義のバックラッシュに陥らずに、ここで一気に民主社会主義にドミノ倒しの様に転換していったのです。

アルゼンチンでは、我々は30000人の行方不明者と供に帰って来た!と政権を転換、2006年にはドミノ的に、ブラジル、エクアドル、ニカラグア、ボリビア、メキシコと転換して行く。チリの大統領はピノチェト時代に迫害された過去を持ちます。
そして12月にシカゴ派の総帥のフリードマンが死に、続いて南米の復活のサミットがボリビアで開かれた。

 ここから、2周遅れの日本の新自由主義者達の三下達には、いちいち耳の痛い話しが続くという事になります。
また情報のツ◯ボ桟敷におかれている我々にとっては、我々の今直面している事は、既に何度も起こっていて、戦っていて、脱却した国さえあるのだと知る事になります。 それは真に希望の明かりでもある。

まず、重要な事ですが、ここまで読んで頂いた人がもしいるとすれば、とっくにお分かりの通り。
我々が痛みの伴う改革じゃー、民営化じゃー、勝ち組ジャーとテレビで煽られて、小泉に投票したあげくやられて、なんでこうなるんじゃーとなっている訳ですが、これは世界的には標準のヤラレ状態(笑)だった。

なんでだろうなんて恐る恐る思っていた頃には、すでに南米各国の教育、福祉、公共サービスに関するセクターは国有化され、教育とヘルスケアに力を注いでいます。

この間、日本には殆ど南米のニュースは有りませんでした。
新自由主義が席巻していた頃は、初めてBRICSと言う言葉が出て来たあたりで、随分報道されていたのに、同じ流れの中で自分達が苦しめられ、なおかつそれに反旗を翻していたという事は、それに気付かない人々の無関心と供に、やはり報道されなかったのだと思いますね。
むしろ政情不安ばかり伝えられた。南米では正常化のムーブメントだったのに。

変な独裁カリスマとしてでチャベスが報道され、ベネズエラで一時期政権転覆の為に軟禁されかかったけども、クーデターをはね除けたニュースだけは、さすがに報道されて、覚えてます。

そして過去のショックから立ち直ると供に、未来のショックにも先手を打つ。
アメリカで訓練された拷問のエキスパートやら、ショックセラピストやらを廃し、アメリカをバックに仕掛けられるクーデターを止める。
つまり我々はソブリンだから米軍基地よ出て行けとやる訳です。そしてアメリカに留学生を送らない様にする。

ブラジルでは150万人の小作農が、遊休地を生かすべく、数百の組織を作る。アルゼンチンでは、投資家が去った後200の倒産した企業を再興する。イラク、アフガン、湾岸と違って、いきなり効果が現れる直接的な施策。

チャベスはなかなかやり手で、仕事の公共事業契約を増やすのでなく、相互通商に対してのインセンティブを与える。金をただ特定企業に落とすので無く、民間同士の通商を活発化させる訳です。実質的な通商に関する減税。
結果10万の企業が70万のあらたな人員を採用した。シカゴ連中の施策の真逆にドーンと張って、成功しつつある。

地獄の1丁目のバーガーキングを開店するハリバートン1社で2兆円アメリカ政府からATMの様に引き出しているのと比較すれば何をか況んや。

 そして、次は、コモディティ市場の意図的価格乱高下に対する為、ワシントンの財政政策や機関から離れる為、ALBAというfree trade zoneを南米で作る。
シカゴ派が作った、正にシカゴ派が会頭のマーカンタイルの先物市場、NY, London等に左右されない市場を作り上げようとする。

ボリビアがガスを安く提供し、ベネズエラが石油を安く提供する代わりに、開発案件等を請け負う。キューバは医師を派遣して、医学生を受け入れる。つまり持てる物を交換するバーター貿易です。

ふと思い返しました。

タイがイランに、金がないから米で石油を買うと持ちかけた際に、日本では笑い話の様に報道されましたが、南米政策の延長線上にあった提案であったのだろうと、今理解出来ます。

そして、本の後の方に出て来る、ヒズボラのイランサポートは、チャベスの周辺国サポートに実に構図が似ています。アメリカがイランをもの凄く警戒する意味の一つがようやくこの流れで判りました。

本に戻ると、次の敵は借款。南米は総出でIMF脱却を図った。
ワシントンに対し、何でお前らの言う事を聞いて借りなければ行けないんだという態度を取った。石油があるチャベスが実際の抹殺の危機を越えて、上に書いた様な施策で対峙した訳です。
結果どうなったか。
これはもう驚くべき結末で、南米のIMF借款は2005年に80%あったのが、2007年には1%。IMF全体の借款も$81billionが、$11.8billionと激減。残りはほぼ全部トルコ向けの借款になった。

つまり、

3年前にすでに、IMF,世銀の地位は世界的には一気に地に落ちた印象が持たれていて、ちょうどその頃スティグリッツが世銀止めて、本を出しまくっていた。
それが翻訳されるのが、まあ日本では最近の事という事になります。とっくに終わっているのに、IMFは悪いんじゃないかなんて一般の大人が言う様にようやくなった。

 一方、小学生の頃革命の日々を読んで燃えましたが、学生運動以降久々のゲバラのブームのいまさらの再燃、ハリウッドでも南米をテーマにした、ヒスパニック映画が非常に増えた事、それらは我々が知らないだけで、世界的には、政治情勢と供にきっと理解されている。
「いま南米ブームがきています」とアタマで言ってしまうリポーターで居てはいけない(笑

オバマが当選した時に、それまでの黒人大統領を受け入れる下地として様々な文化的な状況が先に立ち上がった事を書きましたが、それと同じ様な物であったと、今思うのです。

さてもう少しです。今日はこの辺で。

◇◇◇
(転載おわり)

嵐が去った後は、増税して、国債発行して、バラまきや公共工事乱発するのではなく、
正しい再配分で、教育、医療、福祉を補強して、偏りの無い減税を行って出来る事は自らで行える下地を作り、経済を上げて行くという事ですね。近隣とは相互扶助を行う。
後1、2本で終了です。

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