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人々が選んだ、「対米関係が第一」から「国民生活が第一」。 [選挙]

選挙から一日経って思う。

終わってみれば、今、状況に少し妥協もあるけど真っ当な公約と、纏まっている次期与党と連携各野党。
旧与党の人々もこの敗北に際しての態度で、それぞれどういう人かあぶり出された。

新政権側には、親米保守に取り込まれそうになった連中も、東アジア側に首根っこ掴まれてる左翼団体側もいる。しかし中心にはいない。

そういう人が必ず言いがちな、
「これはこうなっていて、こういう物で、我々はこうしなければいけないんです」というタイプの押しつけがましい強制的な説明、ま、言わなきゃならない理由は判るけども、大方の人々にとって必然性が不明の前提の押しつけ、それが今、スコーンと消えて見通しがいい。

中心にいるのは、排外主義でもなく、程度の低い夜郎自大なナショナリズムに傾く事も無く、自分等の状況の把握に務め、楽観もせず、肝心の国民生活を一義において、一個一個やって来ましょうという人々。
子供の頃に少し有った、もう何年も、忘れていたような、普通の至極落ち着いた物言いに、「ああ、そうだよねえ」と浮かれもせず、その普通さを嬉しく思う。

自民を応援していた人であっても、あれだけ肩肘張っていたのはなんだったんだっけ?と憑き物が落ちた様に思っている人は、意外と多いのではないだろうかと推察します。

戦後醸成され続けた、ノスタルジックな愛国カタルシスや、この所のプロパガンダに頭がまだ少し寄ってる人もいるでしょう。
でも問うてみたい。「きっとそれは、自分の手に手綱がなかったから、不安になるんでしょう?今はどうですか?」と。

アメリカは安保も結んでいるし、日本の随まで浸透した最大の「力」ですが、今回の選挙で、一義的には、宗主国から、中、半島、ロシア、ユーロ、そういった物の一つの存在という事になりつつある。
旧与党と旧マスメディアはどうしても、最初から戦後統治のシステムに取り込まれた存在だったから、最後の最後まで、やはり属国の現地下士官以上の存在になる事は無かった。
新与党には、小沢の一件も含めて様々な工作がかけられ、これからもそうでしょう。しかし表立って取り込まれているのは前原氏含め数人しかいない。

逆に、代理店経由で宗主国に直接コントロールされている、前時代を悪く引きずったマスメディアと電波芸者、旧与党の比例で生き残るった因業深い人と、どう見ても特殊事情があるんではないかと憶測される地盤での旧与党2世、3世、外資に振れ過ぎた企業、それらが異物に見える。
一方当選落選関係なく、政策ではそれは協議、協力していくという良識派の自民党議員は多かった。彼らはまた、自民党と言う物を考え直していく。

我々は、
小泉の時の劇場型選挙と真逆の、驚くくらい報道が薄く、むしろにネガキャンが多かったマスメディアの報道の中、我々の為に働いてくれる政治体制を、そういったプロパガンダやマスメディアの煽りを全く受ける事無く、選択しようとして実現した。

日本の津々浦々に至るまでが、そんな至極まっとうな民主主体の連立政権を選び、勝ち取った。それは戦後の体制を初めて切り替えた事も意味しますが、血を見る様な争いも無く、浮つきもせず、静かに日本をオセロの様に塗り替えた。「対米関係が第一」から「国民生活が第一」へ。

政権の変換と言う意味では、世界的に見ても無血革命のようなものだと思います。
日本の人々が、普通に自助、協力に向かう成熟度を持ち始めたのかもしれないなあと思います。

そこから始められる今、はじめて手綱を握っている実感こそあれ、なんの喪失感も不安も無い。

以下は転載です。ちょっと緩い話。
書いたのは、ちょうど清志郎さんが亡くなった頃でした。

2009年05月10日12:51
「こんな夜に イサキが食えないなんて!」
の転載です。

◇◇◇
(転載開始)

オーバーヒートした頭を抑えて、クルマで銭湯。
黒湯に浸かって、サウナ。帰りにスーパーに寄る。

地元チェーンはいいですよね。
大手大量仕入れの立派な見知らぬ国の物より、青魚でも近海物のカシラ付き。
もう夜11時前なので、この時間になると生物は殆ど半額シールが貼ってある。

小アジは何時でも旨くて安いけど、それではちょっとつまらない。
物色してるとブリの白子100円。いただき。
おっ地物のチダイ。所謂花鯛。15cmくらいの2匹で200円。
小さい海老でもよく食べたのか、きれいな桜色。鰓と腹取って有るから買う。

良く小降りのが酢で締めて使われますが、おいしいものですよね。
真鯛より、身が柔らかいのです。塩振ってちょっと置いて、網で焼く。

甘鯛とか好きな人、西の人かな、是非花鯛おすすめしたい。
この時期春から夏まで旨くて、真鯛よりさっぱりして身が柔らかいので、なんとなく魅惑の甘鯛を彷彿とさせます。もちろん甘鯛のようにはいきませんけども。

何しろマトモな甘鯛の一夜干し店で食ったら5千円超しますからね。その代わりで200円とは上出来過ぎて恐れ多いくらい。塩加減でうまみ引き出す楽しみもある。

白子は胆のうの部分除いてさっと出汁で煮ちゃったんですが失敗した!
せっかく旨かったのに、酒はエストラゴの白。ガーリックとオリーブオイルでソテーにしてみたかった。

これもフォアグラ幾らするか判らない中、100円です(笑
味は油の無いさっぱりしつつねっとりしたフォアグラです。それが100円!!
ソテーしたのを潰してトマトソースでリングイネでもきっと良かったー。失敗。

箸で花鯛の身を崩しながら、ふと思う。

きっとそれぞれの土地のアベレージの下の方の暮らしの中で、バカみたいに大枚叩いて欲しがる絶対価値の90%くらいは、こういった普段の知恵と手間で何も金をつぎ込む事無く実現出来ていたのではないか。
そして、土地の風土、歴史、暮らしが一定程度守られていれば、復活可能なのではないか。

風が清々しい春から初夏に、晩飯を思い浮かべると、
少し川魚の香りがする様な、秋冬とは違って薄く軽くはんなりと淡い油を含んだ少し近海の地物を焼いたのが脳裏に浮かぶ。
そして口にすれば春の明るい相模湾が目に浮かぶ。

そんな夕暮れに、大トロの炙り握りも、フグも、松坂牛もフォアグラも、ちっとも食いたかねえ。
そう思える体の記憶を忘れない事が、きっととても大切な事だと思います。それこそナオミさんの言う事にも繋がる。

どんなに酷い目にあったって、どんなに季節が崩れたって、加工食品とファストフードしか食えなくたって、初夏の風と同じ匂いを嗅ぎ付けた瞬間、ふと、食いてえと、イサキ食いてえなあと体に何かが走るなら、

こんな夜に イサキが食えないなんて!
と思える事が出来るなら、人は、それを実現する為に、出来ない原因を追いつめ、また頑張る事ができるでしょうね。変な例ですが(笑

そしてその集積が大きくも小さくも、なんらかの集団の記憶、歴史となっていくんだろうと思う。

記憶の集積としてのヒストリーを見ない人は、狭いループに容易に閉じ込められて、狭められて行く中で脱出する術を持たない。

権利や思想も、歴史と記憶の集積です。

単なる名前を信仰したり、すでに有る道具としてしか使わない人は必ず負ける。道具での戦いはしつらえの良い方が勝つ。
でも名前の由来を理解している人は負けない。

自分が、ことさら昔の事や、今に繋がるその道程を追い求め、確認するのは、有る程度それを担っていた装置、様々なメディアが、もはやそういった目的からは完全乖離して久しい中で、一人で見つけないと行けないと思ったのがきっかけです。

ただ、爺むさいわけでは無い。いや無いと思いたい(笑

※写真は塩振って焼かれるのを待つ花鯛ちゃんと、
食われずにすっかり机で観葉植物してる豆苗(笑

◇◇◇
(転載終わり)
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