さらば青山! [日記]
今日はまた午後は痛い系の、体に悪そうな日差し。。。
選挙からこの方、こういう日はしばらく無かったのに。外出れませんなあ。
昨日は青山の仕事場を手じまい。
仕事の仲人的な事を頼まれて外出した以外、ワークデイ3日殆ど梱包、片付けです。サービスを運用したままの引っ越しと言うのは、結構大変スネ。
引っ越しとなると、否応無しに過去を振り返ることになる。
この会社は起業から数年後に有志でもう一度作り直したようなものであった。
関係者読まないし、いいか(笑
立ち上げの頃は、なんといいますか。。。
当初は、要件のずれた開発投資とターゲットのずれたパブ的な活動に、ムダに湯水のように金を使って乱れた事をやっていた。
問題無い様に、メタファーとして元首相で行きましょうか(笑
元首相一座が、縁故で癒着した下請けへ巨大公共工事を発注。嘘くさいビジネスプランを言い放ち、金目当ての餓鬼しか集まって来ないバラマキで効果と中身の全く無いパブ打ち。
ダムって事にすると、平野に巨大なダム型コンクリの固まりがごろっと転がってるかというか、どうすんだこれ、みたいな(笑
おまけに、わざわざ運用出来ない様に作ってんじゃないかと疑いたくなる、非効率で誰も使えないシステム。工事費の70%はすでに消えみたいな感じで、しかも、延々とその無用システムの運用に金が流れだす。
あくまで、本業とのバランスの問題ではありますが、経営資源の正しい分配をせず、元首相一座が使い切ってしまった。あまり続かなくても良かったんでしょうかね。
どうも一座の皆さんだけ、私的に潤いのある暮らしを送っておられる雰囲気も濃厚に、金使うだけ使って、開拓させたリレーションを占有して、別の金だまりへと渡って行きます。
その中で私と言えば、うーん。
こんな例か。
尊敬する河合隼雄先生は、壁画の件で謝罪行脚させられている最中に倒れ、憤死されましたが、
元々、心理療法士の国家資格をなんとか実現しようとして、各所頼んで奔走していたら、最近ヤリ部屋と息子でケツに火がついてるその元首相が出て来て、国家資格でもない漢字検定みたいな天下り法人をドーンと作られそこに親分として座られて、自分は望みもしない看板としての文化庁官とかやらされて、一身に矛盾の説明や説得を引き受けさせられる事に汲々とせざるを得なかった。
うん意外といい例(笑
まあ、そのままって訳じゃないですよ。
でも政官財の癒着をモチーフにすると簡単なんで(笑
結局金の切れ目が縁の切れ目で、そこから志とモラルが有る人、会社を実務的に経営しないといけない人、まあ計4名くらいで、自分らで雇った人材でなんとか身軽なエコシステムへ作り直したんです。運用も超効率化。別業界への仕様の再販と受託で一息ついて、なんとか生き延びた。条件次第で黒も見える。
個別にみればいろいろな事情、都合があってこんな簡単ではないですが、大くくりに眺めてみれば、外から見てもこんな感じでしょうね。
そして、こんな引っ越しの際はアンタッチャブルな場所も全開に。
棚を開ければさもありなん。
オフィスの収納体積を長年占有していたのは、もうおもしろいくらいに前半時代の残滓ばかり。近年雇った連中はそれ見て、「へー金使ってたんですねー昔は。もったいねー」だって。正しいセンスだよ君たち(笑
居なくなってからも坪単価高い倉敷料。汗だくで地下の塵芥処理室と往復。捨てまくる。
もし、開始の2年後あたりに、我々だけで始める事が出来たら、かなりの事になっていたでしょう。それがやはり後悔と言えば後悔ですが、ただそれもまあ、業界の状況と巡り合わせです。
元首相一座と河合先生の戦いの話はもう止めるとして(笑)出資した賛同者の企業群のグループがいました。
今や起業時に目論んで居た事は、iPhone、アンドロイドやらで当たり前になりつつありますが、各社結局いろんな言い訳がついて、不完全とは言え、ソリューションと機会があったけど投資に踏み切れなかった。
トライした企業もあれば、出来ない所もあったけど、基本イノベーションに乗る勇気、状況はなかったのです。そして、提案もまた無かった。
これは、やはり今の業界の低迷を予見させる物でもありました。
ちょうど1年半位のある日、ふと腑に落ちた。
日系企業群の大半はやはり真正面で自力で跳ね返す力は最早無かったのかなと。
少しでも積極的に関わった皆さんは、それぞれの理解度で、現時点で、様々な事を思っているでしょう。
そんな、ムダな重しを縛り付けられつつ、力技でやってきたこの仕事ですが、少しは先んじている見識や、でも状況に冷徹になれず利用される自分の弱さ、得たもの失ったもの、いろいろ考えて荷造りしていて気付いた。
一つ、間違いなく、結果として成した事があった。
日系の企業群にとって、有る分野で積極的にいくのであれば、今黒船的に対応せざるを得ない状況に置かれているテーマがありますが、その周辺分野のテーマを、実際の商品のトライエラーサイクルで、業務としてやり続けていた人材は当然ながら世の中に殆どいない。
有りものを買わされて変数を換えるだけ。もし最初から試行錯誤を始めるとなれば、最適化に入るまでに2年かかるような状況。
ところが、その中で、我々の仕事に対応する商品のエンジニアリングは、この5年間で世界的にも少ない、実際のノウハウが溜まる現場で有った事は確かです。
今、こういう世になった暁に、超当たり前の流れとして、我々と仕事した、数年分のノウハウとアドバンテージを身につけたエンジニア達が、これからの物作りに必要な基幹の人材として、見事に再配置されつつある。
ずっと商品をやっていた出向元某社中心ではあるけども、幾つかの案件で使われてた外注のソフト屋も、別の企業に抜かれたりと。
そいつらの顔が浮かぶ。
忘れられかけても、フォワードを待ちながら、5年間ズタボロになってポストプレーを続けた意味は、はっきりあった。
バックパスしか出来ない足元で守ったボールは、まぎれも無くこれから必要となるエンジニア達。新しい時代が来るまでその揺籃期に育つ場所を守ってなんとか踏ん張った。
課した「使命」を満たすにはとても足りないけど、ほんの幾分かでも果たしたか。
そういえば、一月位前に出向元に著名なOBが寄せた非公式なレターを有るきっかけで目にした。そこには、我々の対応商品を中核に据えて立て直せと檄文があった。見てくれている人は、みてくれている。
そんな事を考えながら片付けていると、机の一番奥から、昔切り取ったらしい古びた新聞紙が出て来る。なんだっけと開いてハッとする。
宗一郎時代の日の丸のF1の美しい12気筒エンジンの素晴しい写真が目に飛び込む。ああ!これかと。
覚えてますか?2000年の1面広告。
「われわれの挑戦の歴史は、その65%が敗北の歴史でもある。」
「〜けれども私たちは、山ほどの敗北によっても、私たちのレースへの情熱が少しも損なわれなかったことを、誇りに思う。〜」
噛み締める。
まあ良く出来たもんで、こんな時に出て来る。しかも今日で最後のこのオフィス。ここはホンダの隣だぜ(笑
出向する時に、入れたのだった。忘れてた。
来週はすったもんだして漸く決まった、新しいオフィスで、新たな日々です。
さらば青山!
なんだかんだでいいとこだった。沢山の思い出が蘇る。
それから、
植え込みのネコ共、皆元気で長生きしろよ!!
選挙からこの方、こういう日はしばらく無かったのに。外出れませんなあ。
昨日は青山の仕事場を手じまい。
仕事の仲人的な事を頼まれて外出した以外、ワークデイ3日殆ど梱包、片付けです。サービスを運用したままの引っ越しと言うのは、結構大変スネ。
引っ越しとなると、否応無しに過去を振り返ることになる。
この会社は起業から数年後に有志でもう一度作り直したようなものであった。
関係者読まないし、いいか(笑
立ち上げの頃は、なんといいますか。。。
当初は、要件のずれた開発投資とターゲットのずれたパブ的な活動に、ムダに湯水のように金を使って乱れた事をやっていた。
問題無い様に、メタファーとして元首相で行きましょうか(笑
元首相一座が、縁故で癒着した下請けへ巨大公共工事を発注。嘘くさいビジネスプランを言い放ち、金目当ての餓鬼しか集まって来ないバラマキで効果と中身の全く無いパブ打ち。
ダムって事にすると、平野に巨大なダム型コンクリの固まりがごろっと転がってるかというか、どうすんだこれ、みたいな(笑
おまけに、わざわざ運用出来ない様に作ってんじゃないかと疑いたくなる、非効率で誰も使えないシステム。工事費の70%はすでに消えみたいな感じで、しかも、延々とその無用システムの運用に金が流れだす。
あくまで、本業とのバランスの問題ではありますが、経営資源の正しい分配をせず、元首相一座が使い切ってしまった。あまり続かなくても良かったんでしょうかね。
どうも一座の皆さんだけ、私的に潤いのある暮らしを送っておられる雰囲気も濃厚に、金使うだけ使って、開拓させたリレーションを占有して、別の金だまりへと渡って行きます。
その中で私と言えば、うーん。
こんな例か。
尊敬する河合隼雄先生は、壁画の件で謝罪行脚させられている最中に倒れ、憤死されましたが、
元々、心理療法士の国家資格をなんとか実現しようとして、各所頼んで奔走していたら、最近ヤリ部屋と息子でケツに火がついてるその元首相が出て来て、国家資格でもない漢字検定みたいな天下り法人をドーンと作られそこに親分として座られて、自分は望みもしない看板としての文化庁官とかやらされて、一身に矛盾の説明や説得を引き受けさせられる事に汲々とせざるを得なかった。
うん意外といい例(笑
まあ、そのままって訳じゃないですよ。
でも政官財の癒着をモチーフにすると簡単なんで(笑
結局金の切れ目が縁の切れ目で、そこから志とモラルが有る人、会社を実務的に経営しないといけない人、まあ計4名くらいで、自分らで雇った人材でなんとか身軽なエコシステムへ作り直したんです。運用も超効率化。別業界への仕様の再販と受託で一息ついて、なんとか生き延びた。条件次第で黒も見える。
個別にみればいろいろな事情、都合があってこんな簡単ではないですが、大くくりに眺めてみれば、外から見てもこんな感じでしょうね。
そして、こんな引っ越しの際はアンタッチャブルな場所も全開に。
棚を開ければさもありなん。
オフィスの収納体積を長年占有していたのは、もうおもしろいくらいに前半時代の残滓ばかり。近年雇った連中はそれ見て、「へー金使ってたんですねー昔は。もったいねー」だって。正しいセンスだよ君たち(笑
居なくなってからも坪単価高い倉敷料。汗だくで地下の塵芥処理室と往復。捨てまくる。
もし、開始の2年後あたりに、我々だけで始める事が出来たら、かなりの事になっていたでしょう。それがやはり後悔と言えば後悔ですが、ただそれもまあ、業界の状況と巡り合わせです。
元首相一座と河合先生の戦いの話はもう止めるとして(笑)出資した賛同者の企業群のグループがいました。
今や起業時に目論んで居た事は、iPhone、アンドロイドやらで当たり前になりつつありますが、各社結局いろんな言い訳がついて、不完全とは言え、ソリューションと機会があったけど投資に踏み切れなかった。
トライした企業もあれば、出来ない所もあったけど、基本イノベーションに乗る勇気、状況はなかったのです。そして、提案もまた無かった。
これは、やはり今の業界の低迷を予見させる物でもありました。
ちょうど1年半位のある日、ふと腑に落ちた。
日系企業群の大半はやはり真正面で自力で跳ね返す力は最早無かったのかなと。
少しでも積極的に関わった皆さんは、それぞれの理解度で、現時点で、様々な事を思っているでしょう。
そんな、ムダな重しを縛り付けられつつ、力技でやってきたこの仕事ですが、少しは先んじている見識や、でも状況に冷徹になれず利用される自分の弱さ、得たもの失ったもの、いろいろ考えて荷造りしていて気付いた。
一つ、間違いなく、結果として成した事があった。
日系の企業群にとって、有る分野で積極的にいくのであれば、今黒船的に対応せざるを得ない状況に置かれているテーマがありますが、その周辺分野のテーマを、実際の商品のトライエラーサイクルで、業務としてやり続けていた人材は当然ながら世の中に殆どいない。
有りものを買わされて変数を換えるだけ。もし最初から試行錯誤を始めるとなれば、最適化に入るまでに2年かかるような状況。
ところが、その中で、我々の仕事に対応する商品のエンジニアリングは、この5年間で世界的にも少ない、実際のノウハウが溜まる現場で有った事は確かです。
今、こういう世になった暁に、超当たり前の流れとして、我々と仕事した、数年分のノウハウとアドバンテージを身につけたエンジニア達が、これからの物作りに必要な基幹の人材として、見事に再配置されつつある。
ずっと商品をやっていた出向元某社中心ではあるけども、幾つかの案件で使われてた外注のソフト屋も、別の企業に抜かれたりと。
そいつらの顔が浮かぶ。
忘れられかけても、フォワードを待ちながら、5年間ズタボロになってポストプレーを続けた意味は、はっきりあった。
バックパスしか出来ない足元で守ったボールは、まぎれも無くこれから必要となるエンジニア達。新しい時代が来るまでその揺籃期に育つ場所を守ってなんとか踏ん張った。
課した「使命」を満たすにはとても足りないけど、ほんの幾分かでも果たしたか。
そういえば、一月位前に出向元に著名なOBが寄せた非公式なレターを有るきっかけで目にした。そこには、我々の対応商品を中核に据えて立て直せと檄文があった。見てくれている人は、みてくれている。
そんな事を考えながら片付けていると、机の一番奥から、昔切り取ったらしい古びた新聞紙が出て来る。なんだっけと開いてハッとする。
宗一郎時代の日の丸のF1の美しい12気筒エンジンの素晴しい写真が目に飛び込む。ああ!これかと。
覚えてますか?2000年の1面広告。
「われわれの挑戦の歴史は、その65%が敗北の歴史でもある。」
「〜けれども私たちは、山ほどの敗北によっても、私たちのレースへの情熱が少しも損なわれなかったことを、誇りに思う。〜」
噛み締める。
まあ良く出来たもんで、こんな時に出て来る。しかも今日で最後のこのオフィス。ここはホンダの隣だぜ(笑
出向する時に、入れたのだった。忘れてた。
来週はすったもんだして漸く決まった、新しいオフィスで、新たな日々です。
さらば青山!
なんだかんだでいいとこだった。沢山の思い出が蘇る。
それから、
植え込みのネコ共、皆元気で長生きしろよ!!
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