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8月30日の革命を振り返る。<その1> [政治]

 この所中々忙しくて、なかなか纏まったものをupする時間もありませんでしたが、今日はようやく時間が出来たので、少し前に書いてあったものを体裁整えてupします。

 これ書いた2週間くらい前は、民主内に仕込まれた勢力も平気で発言する様になって来ていて、マスコミや検察の新政権への殴る蹴るの(笑)暴行が続いてましたが、相変わらずではある物の、今少し状況が変わって来ているようにも思います。

罵詈雑言を浴びせかけ続けるにしても、相手がうまく潰れてくれないと何処かで限界がある。変な話、人の頭の中の集中力は、やっぱり75日くらいの物ではないかと思います。
状況が変わらないと、意味が消えて行く。良く反対運動や抵抗運動等で状況が変えられず、人はそれを見て無力感を感じたりする訳ですが、逆もまたしかり。
いくらギャンギャン吠えても、なにも起こらなければ、みなその犬には興味を失う。そして吠える事が仕事の犬も、腹とか減る訳ですよ(笑

取調室でがなり立て、マスメディア上で罵詈雑言を浴びせて昼休み自分の机に帰ってくると、えーと、そうそう、昼牛丼食いいく?とか、普通の日常。
直接指令を受ける上層部や、脳が元々おかしいか、やられている人は違いますが、普通何も進展がないと、そういった日常のリセットと、後ろめたい異常な仕事の甲斐の無さが、ボディーブローの様に効いて、疲れて嫌になってくる。

これが自らの正しい信念や、モラルに基づいた事であれば続けられる。しかし、やらされている事、自分にいいわけをしてやっている事、犯罪であれば、そのうちに、面子を保ちつつ転向するにはどうしようなんて考える様になって行くでしょう。
参院選向けにまた激しくやってくる。内部からの切り崩しも行って来るでしょうが、その様に変わってくる部分もきっとあるでしょうね。

◇◇◇

 で、本題ですが、今回のこの政権交代の意味を、ちょっと視点をドーンと引いて、のんびり見直してみたいと思います。

アラフォーあたりでは、自分の生きた時代も既に一部歴史になって解釈されてたりします。実感はその物足りない記述と随分違う。
これまで生きた人生よりも、余命は10年も短いですから、人の一生の時間、その間に成す事、移り変わる事等、腑に落ちてくる。歴史を振り返ると、若い頃に判らなかった事や流れが見えて面白いものです。爺むさいですが(笑

 今回の政権交代は、植草先生が何度も強調されるように、レジームチェンジ、且つ、民主的で平和な革命と言う事だと思います。状況は随分違いますが、血を流さず最小の犠牲で、フランス革命を実現したような物かも。
日本の歴史や政治経済の学者や研究者の中で、もっとそういう人が居て良い様に思います。政治部長会議の存在に驚いた事を書いた前々回の後半に、体制の模式を書きましたが、あんなのでも十分それを示していると思う。レジームの構成要素を明確にしたくない意図が働いているのか、そう思いたく無いのか。

レジームチェンジを遡ると、大きいのは明治維新と終戦後。1868〜1945〜今2010年。江戸の終わりから終戦で77年。終戦から今が75年。2012年でやはり77年。

大過なく生きた爺さん二人分の時間なんですね。アッパー40には掴み易い時間の単位。そんな訳でおっさんはwiki等見て遡ってみようかと思います。
取り合えず3G、3ジェネレーションでなく3爺(笑)くらい前から遡って考えてみる。

まず3代前の第1爺さん。
1791年頃は封建制の江戸時代。今天皇は国会で選ばれた総理大臣を任命しますが、当時は武士階級の強い奴に征夷大将軍を任命させられてました。徳川家の独占。爺さん3人分でこんな昔までカバー出来るんですねえ。ま、婆さんでもいいんですが(笑

戦国から江戸までは、ビジネスもやる派のプロテスタントが欧州の寒い方に広がりつつあって、対するカソリックのイエズス会が、当時のアメリカ的な覇権国家のスペイン、ポルトガルの植民地政策と連携して日本乗っ取りに来たりしてました。でもこの頃はもう禁教とされて久しい。
鎖国して、プロテスタントのオランダとのみ交易していて、一般人には他に中国、朝鮮以外との外交の認識は薄い。中国の冊封内に居る意識も薄い。

アメリカ西部開拓はもっと後で、まだ日本は太平洋からアプローチ出来ない。この頃までは世界にとって正真正銘の東の果て。世界中のエクスプローラーが夢見る、世界の終わりかハードボイルドワンダーランドか。辿り着いてみれば、精神的に安定、清潔で、民度もそこそこ。生産性、歴史継続性があり、西欧の暮らしと一部同じ概念があるようにも感じる。不思議な猿の惑星であるという意外な展開。

第1爺さんの生まれた頃の世界は、生活も政体も意識も経済も「ビッグバン」、激変のただ中だったようです。何故ならイギリスがあの産業革命の最中。覇権国家となってフランスを追い落とす。新大陸の北アメリカはフランスのサポートでイギリスに独立戦争で勝って憲法書いて、ジョージワシントンが初代の頭領となった。
そして、そのフランスに民衆による、貴族殺戮の暴力クーデターみたいになったフランス革命。その後レジームが頻繁に変わる国となり、社会主義、共産国家の萌芽にもなった。激動の時代。

日本は後の爺さん達の様なレジームチェンジは無いものの、経済成長が頭打ちで大きな転換があった。中国通の荻生徂徠がルターで、田沼意次はテンシャオピンかという感じでイデオロギーやモラルを経済政策と分離し重商主義へ。
お前もワルよのうでなく、武士もやっぱり食って高楊枝というか、サムライ儒教プロテスタントというか。貿易もロシア展開まで視野に入れた。
このころ氷河期のちっちゃいやつ、小氷期というのが来ていて世界中寒かったそうです。飢饉だらけでインフレも激しく政策努力も旨く行かず、企業献金さされて田沼失脚。

でもそれだけではなくて、恐らく経済の語源でもある経世済民を掲げてしまうと、武士のイデオロギーが揺らされて、幕藩レジームが危ないというのはあったと思いますね。将軍直系の緊縮財政モラルマン松平定信が出て来てそれを抑えた。今の検察は、未だにこの頃の御公義みたいな気分でいるようなお目出度い人がいるであろうと思います。

アメリカはまだですが、ロシアは極東から日本に来る様になった。松平は沿岸警備、海上保安の強化もした。夷敵をひしひしと感じ取る。
一方横でイギリスは、清に対し、滅亡まで続く事になる、侵略の最初の一歩、貿易拠点の拡大の要求をしています。次の爺さんの代の日本は、イギリスに極東子会社にされ、その侵略業務を受託するような格好となる。

さて維新の第2爺さん。

長いので3回に分けますね。
<続く>
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