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国破れてもマスメディア在り。 [マスコミ]

暖かい陽気で、心無しかテレビの人々の顔も自民時代の様に緩んで見えます。

なにか、7:30にビール飲みながらナイターを見るのが楽しみのお父さん時代のテレビのような、余裕のある表情です。
鉄面皮の某美人キャスターの目元も綻んでます。ショックだなあ(笑
筑紫さんはどう思うだろう。兎に角、これほどの影響がこの人達にはあるんだなと少し新鮮な驚きでした。

やはり会社の足元が不安になると、自分等も不安になるのは誰しも同じ。
小沢潰しに成功して、ほっと一息、皆昔のようだね、このまま行けるといいねと馴染みの飲み屋で柔らかい笑みと供に静かに祝杯でも上げてるのか。。。

と、思って個人レベルで実感してしまった。あっそうかーと。
とてもとても単純な事を。

マスメディアの「中の人」と一般ピーポー大勢は、利害が相反してる。
生活保障面チックな話ですが、マスメディアには、情報は世界から膨大にダラダラ入ってきますが、社員達は、グローバリズム、ハイエク的な社会の変容を、自分の身に起こる事として、最後まで理解しない立ち位置に居ます。

なぜなら、宗主国からの命令でそれをやっている政府から貰った免許で、政府の意向に従って、ローカル向けに世界で誰も使わないローカル言語で、プロパガンダを担っている。
社会が変化して大混乱があっても、保守政権の傘の下で広報、プロパガンダ役として最後まで必然的に居られる人たちだから、官僚レベルと言ってもいい。
つまり暮らしと収入は、親米保守政権についている限り、最後の最後まで保証されるGPだから、続けば壊されて行く我々とは永遠に乖離する。

ああ、こんな簡単な事が随分判らなかった。これは構造なんですね。
冗談混じりで言ってみれば、国民生活が第一!と言われて我々が投票し小沢が官僚に対峙した時、彼らは小沢を潰さないと、自分たちの暮らしが壊れると。

我々国民主権からすると官僚と付随するマスメディアのクーデターですが、
あそこまで、粘着性、偏執性を持って、隙間無く塗り替える様に、クリーンな政治家を理由も無く徹底的に貶める事は、仕事とはいえ、まともな神経ではそうそう出来ない。

なので、なんともマスメディア関係者というのは極悪人、気違いなのではないかという印象が、小沢支持者には広まる訳ですが、「マスメディア人の生活が第一」と言う事で、暮らしを壊す共通の憎むべき敵として良い人も悪い人もネガキャンをやり続けたのではないか。国民に対峙しても自分の生活が第一だと、普通の人として、一丸となって頑張ったのだろうかと、そんな事を思いました。

グローバリズムを礼賛しまくって、プロパガンダに手を貸して、世を壊す片棒を担いで、陰惨な事件や下層の人々をルポしても、彼らはそのリアルと実体とまったく関係がなく、実感も当然無かったけども、国民側の政権交代で、自分への暮らしの恐怖を、初めて感じたのでしょう。世を壊して自らを助ける。

中の人が悪い悪く無いというレベルではないです。単純な人に向いた憎しみ等は、視界を濁らすだけ。ふりさけみれば、先の大戦。

反戦を書けばおまんまの食い上げのマスメディアは煽る、大人の判断をする政治家を糾弾する。自分の基準の無い少なく無い一般ピーポーは、繰り返し擦り込まれて、本能的な幼稚な気概を重ねてそれに乗る。なんて事があったかもしれないと、今、もの凄くイメージ湧いてきました。

実際、戦争のきっかけ、原因は何処にあるだろうか。
散々戦後問われる上げられる固有名詞やテーマは、果たして、本当に戦争の責任に関係あったのか?そんなもの、実はローカル局面の単なるモチーフではないのか?
絶え間なく起こる紛争、戦争の端緒、人々の合意形成プロセスと構造は?

国が滅びても、官僚もあり、マスメディアもあり。

ジャーナリズムと言うものがあるとすれば、マスメディアとは乖離したように思います。ちゃんとした人はマスメディアに出ないもの。実際知りたい事は、弄った情報は見ない。マスの報道は携帯で、5紙のヘッドラインを比較しながら5タブをスクロールして終わり。

情報はtwitterでリアルタイムで上がる。見識豊かな人や事情通をフォローすればその意味や今後の情報も十分。体系的に詳しい論説、歴史としての振り返りは、追うべき人のblogを見ればいい。ちゃんとした知識は本を読む。そんな時代です。

マスコミの世論操作を見ると、音楽ランキングを思い出します。
先日誰か口走って問題になってしまいましたが、CDシングルなんて、今全然うれないので、社員に100枚づつ買いに行かせれば、2千枚で簡単に操作できる。ランキングの権威と、コストが合えば、それはプロモーション費。たった200万円。
これが官房機密費か(笑

政権交代の話は置いときます。凡夫にはそう簡単にわからんですが、前回の日記通り、ハイエク三下が盛り返したけど、
でも小沢は時期見てまた頑張ってくれるでしょう。

藤原新也さんのHpにいい事書いてありました。

「そして誰もいなくなった。

右を見ても左を見ても賢者なき茫漠とした焼け野原が居残るばかり。


それでも焼け野原を歩く、自からの二本の足は生き残っていることを強く感じ取ろう。」

そう。今この焼け野原に立っているのは己が2本の足。
誰の意思でもなく歩いている自分がここに存在して居る。
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