SSブログ

南米のおっさんのぼやきに思う。 [日記]

先日帰りの電車の中での事。

南米の中年男性が、日本人風の若者相手に、大声で喋ってる。大声というか、向こうの人にしてみれば普通の会話なんだろうけども、電車の中だとかなりでかい訳ですね。

見かけはインディオ色濃い、中南米の人なんですが、スペイン語というよりはポルトガル語らしき印象で、ブラジル人かもしれない。
所々日本語になっていて、これが聞いていると思い切り日本の悪口を言っているんですね。

相手の日本人らしい若者は空気読むタイプで、もう応対の声も小さく冷や汗かいてる訳です。

勘違いもいいとこよ、とか、自分達だけ良ければいいんだよ。飛行機事故でも日本人がいなかったから良かったという。おかしいよ。悲劇は悲劇でしょ、とか。自分等が一番とか思っていて笑えるよ。日本人が自分でやったと思っている事等猿真似だよ全部、金だけはあったけど、それももう終わりよ。誰も見向きもしないよ、中国とかにとっくに抜かれてるよ、
等々。

この人、日本人を煽って嫌な気分にさせるくらいに、日本語旨い。
で、ギリギリ一線超えない。殆どワンカップ飲んで管巻いてる出稼ぎのおっちゃんとイントネーション変わらないのですが、酔っている訳ではないので、一般論で喋る。そして母国語になる部分は、おそらくもっとコイツラ的にキツい事ぶちまけているのかもしれません。

確かこんな事も言っていた。
今日5台よ5台。へっ。終わってるよ。日本の自動車ももう終わってるよ、給料なんて出ないよ。とか、
サッカーの話になって、
汚い事をして当然よ、勝つやつが偉くて、日本のスポーツマンシップなんてあんなもん笑えるよ、そんな事言ってるうちはおまえも絶対旨くなんてならないよ、Jリーグなんてとんだ勘違いだよ。笑えるよおかしいよと、俺は逆に汚い事されてもそれで文句は言わないよ、それを超えてその上で勝つんだよ、
なんて聞こえてきた。
当然一字一句合ってる訳ではないですが。

あと、確かに速いけど電車もうやだよ。乗らないよ、と(笑)

二人ともスポーツバッグを持っていて、彼はきっと自動車工場の出稼ぎに来ている人で、語学かサッカーチームか同僚かの集まりで、サッカーやって帰る途中の様な感じに見えました。
当然周囲のおっさんは冷や汗で困惑し、若者はギリギリ苛つき、女の人は人の間からこっそり顔を伺う。

会話の中で特に、日本人が、本来の意味や本質を理解しないで、もしくは無視して自分たちだけで陶酔して踊っているような話になると、その声には、マジで唾吐くんじゃないかというくらいの侮蔑が籠る。
多分、ワールドスタンダードの価値観で話しても、誰もが見ないふり、無いふりをして、皆であらぬ方向を一緒に見て空気で動いて一切聞かない集団引きこもりに、ほとほと嫌気がさしている。というか、気持ち悪いのと無力感だと思います。何を言っても引っかからない。社畜電車の息苦しさもあり、ぶちまけたのかもしれません。

つまり、このおっさんは極めて正しい。

 ここで良く書いてる、「アホダラ経」と同じ。誰の台詞か忘れましたが、日本の政治家だったか教授だったかの大半の見識は、フランスのパン屋の親父より下だというような言われようと同じ。日本人てやっぱり相対的に相当変なんですよ。最近海外行ってないので、南米のおっさんの本音聞いて、久々にはっきり確認した。

オバマの話なんかでも書いてますが、ユーラシアの端の内海を持つ細い環礁的列島に、全員内側を向いている集団が日本人です。
ここはアメリカ大陸と切れて以降は、東のデッドエンドなので、時々でいろんな地域の人が入りこんだ。
邪馬台国等もあった訳ですが、2千年より短いある時期に、ある家を、国作りの家の子孫だとして、祭祀の共同体の長としといて、中でやってきましょうという共通認識でまとめた。

実際は鎌倉ぐらいまでは東北は別の国。九州の南もそう。「侍」自体も、そった刀をもった騎馬は、東北のアテルイの方で、彼らの強さと姿勢を敵として対峙するうちに身につけたのが、一所懸命の鎌倉武士と見ていいと思う。でも、諸々見ない様に、そうでない事にしようという事でやってる国ですね。

ネットの時代になって溢れた「そうなってますがなにか?」は象徴的で、見た時に本当に笑った。それをいい続ける事が国の成立の条件みたいな所があります。

その中で、外から輸入した物はみな、この南米のおっさんが言う様に「祭り」のモチーフだったり燃料だったりで、本家にはケツ向けて見ないので、奇形のまま、互いの空気で正になってしまえばそれがスタンダード。いいんだよねと互いに見合って正義になってしまう。
特に都市部の人間の様に、人が集まっている場所や、閉鎖的な場ほどそのようになる様に思う。日本語を喋る事でいつでも内輪で引きこもる事が出来るし。
ど田舎のはずれのセルフメイドマンとか中小企業の親父はそうでもないように思います。

その日本語を喋る外人というのも、その身内感覚を利用する人間か、向こうの世界から弾かれて埋没する人やらだったりして、あの南米のおっちゃんのように、普通の感性でストレートに物言ってくれる人は逆に少ない。異文化交流ではないんです。日本に来る大半は単に稼ぎにくる訳ですね。

南米の人は、我々の随分前に、ナオミ本でおなじみ、アメリカのフリードマン的な連中に根こそぎやられて、今反転攻勢の中ですから、日本がそういった別系統の外人にやられまくっている事さえも、見ててあ〜あやられてるわとよく分かっているでしょう。お前等ヘタレか!と。
詳しい人なら、ああシカゴボーイズと、其処への留学組の官僚や政治家が国や資源を随分売っぱらって、貧困が続いたけど、日本の政府だとあれとあれがその連中だなとバキバキに判ると思います。

 そんな日本の人々の中では何が起こるか。

歪みが修正されない引きこもり集団のまま、外圧が強くなるとだんだん周囲から削られて行く。「なぜだ、こんなはずじゃなかったのにー」という叫びにも耳を塞ぎ、見ない様にしてぎゅっと内を向いて固まる。安全で居られるパイが減るので、椅子取りゲームになる。

一方椅子を確保してくれる頼れる幹の前ではガキの様にはしゃいだり泣いたりしてみせる。戦前は、明治以降戦略的に作られた皇室に対してそうだったかもしれないし、実際自分の時代ではアメリカがそうだった。日本独特の何でもありの新興宗教もそれにフィットしているのかもしれない。

椅子を持つ権益を取った同士は、互いに他我無くベタベタに縛り合う。其処から外れた振る舞いをする奴への仕打ちが、日本風「いじめ」のような気もします。
例えば、酒乱の暴力旦那が居ても、あまりにひどければ布団蒸しにされるだけで村八分にはされないけども、それが殴られて障害残った人であろうが、DVで命からがらの奥さんであろうが、その親父の暴力行為を訴えて明るみに出す人間がなぜか村八分に会う。つまり善悪の基準なく、場と序列、秩序を壊す方が問題になる。

目立って人格によって偉業を成し遂げるような人は大抵潰される。
そして、椅子にあぶれて摩滅した存在は無視し、半分手をかけたような、無視できない存在や間引いた子供等は仏とし、抵抗のリーダーは神として祭って思考停止して済ませる。

こういった我が国の仕組み、これを国単位で保全する装置が、律令以来の官僚、そしてマスメディアとすれば、今の日本も大方、すとんと腑に落ちる。
法でもないし、ジャーナリズムでも無い。椅子取りゲームの場を壊さない為の、暴力装置とプロパガンダ装置でしかない。不敬罪の対象が御公儀、皇室、アメリカと変わっただけ。特高憲兵が特捜になっただけ。メディアはまんまいっしょですね。

小沢氏の様な力のある人間が立つと、それが一気にボロボロに露呈する。
国民主権の政治主導の体制など絶対に潰そうとなんでもやってくる。税金で(笑

 大権を持つ存在に搾り取られると、それに文句をつける事無く、萎みながら全体主義的、社会主義的に互いに互いを少しずつ殺して行く。
今の状況としては、アメリカに絞り取られる中、抵抗をしめした小沢さんを潰した。石井紘基さんが暴こうとした部分は無い物として、アメリカには引き続き貢ぐ。残りで、税金もっと取って最小不幸でやっとけと言う事で、市川房枝氏の名を利用してのし上がった市民活動家と元左翼総務系弁護士を日本のトップに据えた。

小沢氏の登場で少しざわめき始めた、国民の溜飲を下げる為に、今バラエティー番組をやっている。
元タレントと辞め革マルで、本丸なき、おざなりのどっちの仕分けショーを行って、官僚への怨念を散す。
一方目がいつもとろんとしてる郷ひろみ似に、中国相手に右翼船遊びをさせ、アメリカ様と夫婦漫才をやる。当然郷さんの方が奥さんで、クリントンおばさんが旦那。夜郎自大な親米保守マインドも盛り上げる。

そして、クーデター政権が、政権選挙の公約をほぼ全て破り、かつ悪化させていく事を隠そうとしている。今はマスメディアはじり貧、アメリカが傾いていて、ネットもあり昔と状況は以前とちょっと違いますから、疑問を持つ、考える頭のある人には情報は入るから火はそう簡単に消えない訳ですが。

ちょっと長くなってしまいました。

 もとい、そんな日本の良い所と言えば、細かな差異しか許されない中で、それを突き詰めての、工夫、技術や、繊細な感性、そういった物は優れている。技術はもちろん、2次元の制限されていればカタルシスや変態をそのまま解放してよいという感じのアニメ、激しく技術、フェチ的なテクニカルなAV、モダン未経験なので禁忌がない特異な差異化ファッション、そういった文化の部分は世界市場で金を生む。

けども、逆に、人としての評価と言った物は殆どない。集団として勤勉であるとか、酔っぱらうとか言う話はあっても、個の人間、人材としては見られない。そのままストレートに順当な評価である訳ですね。これが南米のおっちゃんのぼやきの元でもあるでしょう。
逆に内向きで見てみれば、特にアングロアメリカの名のある人に普通の人間として扱われた事が、凄いとか神だとが溢れているのを見ればさもありなん。むしろ尊敬されている人は国内では話が出ない。

このじり貧の状況のままいくと、削られきったら、最後官僚とマスメディアしか残らないか。税金なくなったらなにで食うのかな(笑)

変えるには、と考える。

日本人は内にしか向かない。
日本には集団と場が有るけど、個々の意思や人格が無い。

というのなら、

外を向いて、
自分の意思をそれぞれに対して持って、人格を作って行けば良い。

と言う事だ。なーんだ。簡単だ(笑

簡単ならなぜできないか。

それは、上に書いた様に、集団や場の圧力を受ける事でもあるからですね。苛めにもあう。
それをある程度、覚悟しつつ、生きるにどうしても必要な折り合いを集団や個人とつけつつも、自分の足を自覚していつも歩いて、前提を作らないで自分の頭で考える。

誰だか知らんけど、南米のおっさん有り難う。
結局自分に尽きるのだ、他の何処にも解は転がっていない。

そう思います。
タグ:南米 日本人
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。