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避難地域周辺を走って思う。 [日記]

先週日曜日、福島の避難地域周辺を回ってきました。

足はバイク。日帰りでもなんとか4時間くらいは現地を自由に動けます。
首都高から常磐道をいわき勿来で下り、海岸線沿いを北上しました。6号、ところどころ海側を走る。

小名浜近辺は、大分片付けが進んで居る様に見ました。
段差や桁と路面の差等もメインの通りは埋めてあり、信号が停まっている所等もまだ有りましたが、復興に向けて進んでいる。

トンカンと響く修繕の音は凄く、なんというか、いい響きでした。
始めて感じる事でしたが、「希望の音」ですね。

6号を北上すると、段々道は立派に、周囲は妙に整理された感じになります。
電光掲示板で、避難区域の表示が出て、しばらく行くと、すっかり有名になったJビレッジに突き当たる。
警察官は奥の方にいて、応対はJビレッジか東電の人でしょうか。制服を来た若者でした。カメラを見て、ここから先は、許可証がないと入れないんですがお持ちですかと、まず人物を測る様に言う。これまで相当いろいろと言われたのか、丁寧でした。

ここは20キロ圏の避難区域を少し入った所ですが、だれもマスクさえもしていません。バイクで走っていると脱水症状になりそうな暑い日だったのでつけたくもないですが、実際に安全なのだと言う事が判りました。

Uターンして写真を撮り、バッグから封鎖路線をメモってあるマップルを出してみる。国道399号は許可無く移動出来る避難区域ギリギリの南北ルートのようですのでそちらに回る。
その間も文科省のバンや、許可を受けた車が入って行ったり、一方で普通の車が追いかえされたりしていました。すぐ先には、東芝の対策本部と書かれた小さい看板が張ってあり、車が出入りしていました。メーカーの技術者が詰めているんでしょう。

一番近いコンビ二とうどん屋は関係者等が利用するのか、不自然に空いていました。うどん屋に入って話でも聞こうかと思ったのですが、横浜から日帰りの強行軍で、これから道路状況によりどうなるか判らないので、控えました。

県道41号にあたるまで35号を南下して行くと、突然日立GEのニュークリアパワーの看板があり、ぐるっと回って上から見ると、なにも見えず森が続いているのですが、突然駐車場だけがあり、しかも車でぎっしり埋まっているという異様な光景が。GEの外国から来たエンジニア等もここに居たりするんでしょうか。このような唐突な施設が2、3ありました。
途中警戒を呼びかける警察のバンがゆっくりとアナウンスをしながら走っていて、後ろをついていたのですが、普通にいけいけとウインカーを出して寄って先に行かせてくれました。ナンバー見たいのかもしれませんが、珍しい事です。

走っているのは全て屋内退避地区という事もあってか、人通りは無く、たまに農作業をしている人、避難した人が戻ったのかもしくは逆か、家を片付けている人以外見ませんでした。車もほとんど行き交いません。
ただ、サッシの中の日の当たる所には、洗濯物がよく下がっていて、生活しているんだなと判ります。

399号は、集落、山岳、集落と縫って北上する、東北の山間部らしい国道です。バイクの旅人にとって大変楽しい道で私も何回か通っています。

昔頻繁に長旅に出ていたころは、体力の限り走って野営し、土地の食べ物や湯を頂くと言う事をやっていました。そうした中で走った思い出深い道の一つ。
人の気配の無い道を長く駆ける事が出来るのは日本で東北だけです。北海道は開拓の土地でまた雰囲気が違う。
日本の海岸線はほぼ全て回りましたが、海岸沿いで、懐かしく古き良き素晴らしい道だと思うと、その先をしばらく行くと結構な確率で原発があります。長く乗ってるライダーならそうそうと頷いてくれると思います。
清志郎のサマタイムブルースもさもありなんという感じです。

399は国道と言っても、山間部はヤビツや伊豆の天城あたりの様にタイトな箇所もあります。地震の影響か、崩落しかけているような部分もありました。
山岳路の途中でスコールの様な激しい土砂降りに会い、メッシュジャケットにTシャツの私は、下着までずぶぬれになりました。そこまで濡れても標高下がった陽の出たドライな所を走ると10分、20分でパンツまで乾いてしまうのが夏場のバイクと言う物。

考えてみれば、屋内退避地域、ほぼ避難区域の路上で、泥巻き上げてずぶぬれ、かつあっという間に乾くくらいに風に身をさらしてる訳で、都市部の放射線ヒステリー気味の人には、卒倒しそうな事かもしれないですね。
コンセンサスか、実データかという事で、どちらを取るかは年齢にもより、それぞれの判断ですが、どちらにしろ実測定値が低く、殆どこっちと変わらない様な左下半分の地域であまり気にするのは、ナンセンスの様にも思います。

不安な方は一度、高線量の温泉に行ったり、鉱石や健康設備用のラジウム線源を買ってみるといいかもしれません。20〜30マイクロ程度でも体感出来る事を経験するだけでもムダな恐れが減るでしょう。
水道が肉が2桁、3桁ベクレルじゃーと卒倒するのに、子供つれて数マイクロある渓流でバーベキューやキャンプして、温泉等では二桁「万」ベクレル/リッターの線量のある湯を飲泉する。肺への物質の吸引という事はあるでしょうが、それ以前に昔の常識であった、鼻呼吸で教育しているのかと問いたくもなる。

 何度か荷造りや雨宿りなどして、エンジンを止める訳ですが、鳥、虫、木々等の生き生きした気配がわっと身を包みます。なにも違和感の無い良い森です。うぐいすが鳴き、カエルは跳ね、虫が葉から葉へ。蟻の列が縦横に走りと生気に満ち満ちている。

 ここまでJビレッジのある広野町から、四倉に南下して、小川町、川内村と北上して都路町に上がって行く事になります。都路は双葉町の西側の町ですね。
右に入る林道はほぼすぐ避難区域ですから、ことごとく立ち入り禁止の看板が立っており、事前に調べた限りでは道のどこかで人が監視している封鎖ポイントがあります。
都路につくと、やはり人は少ない。ただ、都路は郡山から一本道なので、交通も少しあります。警察の車、自衛隊の車も沢山走っていました。ただ、店は殆ど閉まってます。マスクつけている人は公務員含め、警官一人しか見ませんでした。
昨日TV見ると、NHKのキャスターが私の通った道沿いの川内村の養鶏業の家を普段着で訪ねてます。つまり、一般人が出入りする30キロ以内もしばらく立ち入り禁止にしていた、ジャーナリズムの欠片も無い日本のマスメディアにも安全宣言が出ている。

その意味では本当にこの近辺は安全なんだと思います。

288号とのT字路の先すぐの良い所に、副島さんの学問道場の看板が掲げてありました。良い場所です。
「居ります」と張り紙がしてあって、寄ってみたのですが、裏手回って2、3度声をかけましたが常駐されている方はお疲れで寝ているようでした。起こしても悪いし長居出来ないのでおいとましました。

途中、何も飲んで無い事に気づいて、道場支部の少し先のカーブに退避エリアがあって、小さな家の前に自販機があったのでバイクを止めて、サイダーを買って飲んでいました。
その家から大人に交じって子供の声が聞こえて来る。しばらくすると、中学生くらいのお姉さんと小学生の弟が出て来て、こんにちはと。子供はあまり見ないので新鮮。私の横で自販機前にしてああだこうだ言ってる。
しばらくすると、腰が曲がってはいるけどかくしゃくとした褐色に焼けたおばあさんが出て来て、挨拶する。
「とっちゃんはコーシーかの」といって、兄弟分とそのお父さんの分か、買ってやる。自分にとってもそうですが、蚊取り線香の香りと共に思い出す、子供の頃親の田舎での良くある一コマ。

「バイクでもあったけえかのう」というので「いやもう熱風、ドライヤーって感じですよ。」というと、ニヤッと笑って去って行く。

この安定した堂々たる様は婆さんの生きる唯一無二の場所に居るからで、仮設や避難先でおなじようにはいかないだろうなと思いました。都路では道場の方が聞いた話で3000人が今や老人ばかり250人だそうです。

居住地域の精密な測定は、走ってみて感じた規模感からいって、むちゃくちゃ大変でもない。この低線量の中、危なく無い土地はむしろどんどん安全宣言を出して小割りで解除すべきだと思う。
電力、警察、キャリア、それらの作業員に全員線量計を持たせればあっという間に出来るのではないか。

農畜産が出来ず暮らしが出来ないと言う事は、避難したらもっとそうな訳で、生活保障を同じ様に行って、農畜産を続けて貰って、線量検査して安全な物を流通させる小分けのユニットがあればいい。

アトミックアンヌが来て廃炉ビジネスがフランスに渡され他と思ったら解任。一方で放射性廃棄物処理場建設の為か、すでに山を切り開いて10年がかりで大規模道路を作る建設の人足が募集されていると聞きます。
都市左翼の人の放射能ヒステリーのせいで、人が消え、放射性産廃処理場、最終処分場でも出来た暁には、最終的にその土地が未来永劫使えない事が決定され、併せて「原発の存在が固定化」されてしまう。
私はそれに反対するものですが、彼らは同じ事を叫びつつ、世界中で廃炉に向かう動きのチャンスを、固定化の為に動いて潰そうとしてるようにさえ見える。

早期に安全な場所から、こまめに人を戻す事をしないと、そうなってしまうのです。
なぜなら、この世にall or nothingの事なんてなくて、全て連続している。土地も時間も、危険性の度合いも連続している。
別に新しい場所、ユートピア、まだ見ぬ本当の姿等がどこかに現れる訳ではないのです。家はじたばたしても広がらない。汚して掃除をせず、物を片付けなければもっと狭くなる。

その家に住まなくても良い人、余裕のある人は別にいいからガタガタ言わずにそうすればいい。
ですから、そうやってこまめに対応していく事で少しづつ状況を「塗り戻して行く」以外に方法はない。
幸い反応中の原子炉が吹っ飛ぶ様なとんでもないディザスター、緊急事態は避けられた訳です。だから、早く、緻密に塗り戻すフェーズに入らなければいけない。

良い歳で、久々の強行軍だったので、帰りは脱水気味。目肩腰とボロボロでした。

でも、地元の大きな橋にさしかかり、対岸に丘の多い地元が見えると、ああ、帰って来た!と思って心底ほっとして力が湧いてくる。それが自分の生きる土地なんだろうと思います。

そして再度気付く。
そんな場所を奪って良いものか!と。
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