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再占領中の終戦記念日に思う。その1。 [日記]

 終戦記念日です。

再占領をうけた66年目のそんな今日、中年サラリーマンなりの、熊さん八っつあん的日本の構造分析の真似事、そしてそれに対するアメリカの話を少し書いてみたいと思います。

 大学でも般教あたりで教える、パレート均衡ってのがありますね。
「それぞれのレベル」で満足してバランスがとれる経済の均衡点みたいな概念だったと思うのですが、日本の構造的な特徴を考えて行くうえで、なかなか便利だなと思いました。最も経済学はチンプンカンプンな無明の輩ですので、間違っていたらごめんなさい。

それぞれの満足が足りないうちは、闘争がありますが、どこかで安定を得るとします。日本は小さい島国ですから、あんまり社会の構造が頻繁に入れ替わっては大変ですね。「分を知る、足るを知る」のが美徳とされるのはそういう事があるかもしれません。なるべく階層を安定的に固定する事が必要になってくるのは必定。

社会学的に更に考えてみると、階層を固定化するには、恐らく一番大事な事は、一番上と一番下の絶対化だろうと思います。

上は何らかの神代からの絶対的存在。下に賤民。
民主化以前の国。我が国もそのまま当てはまると思います。上は、アンタッチャブルな「御簾の奥」。つまびらかにされない設えがされている。
一方、下は何らかの「夷」ですが、黙ってそこに固定化されるバカは居ない訳できちんとコンペンセーションが存在する。大人になると判る(笑
固定化装置としての役割を負う代わりに商売、利権、免税等、独占の権利等が与えられ、余得と生活を保証される。
一番下と一番上というのはスモールワールド的に、近い存在と言えるかも。むしろその間の被支配層は遠い。ここは、適宜分割して統治。千年昔から変わらない構造。

 2ちゃん的な排外、差別志向は、中間層の人が感情的になって溜飲を下げつつ抜け出させないには最適で、それをネトウヨと人は言う。
一方、全体性を無視した永遠に実現不可能な反対を言い続ける政党や所謂プロ市民という人がいて、官僚政府への体制内のガス抜き装置として中間層の「お上」に対する左翼運動を誘導する。デモというより陳情行列の祭り。屋台も出る。
ターゲットは官僚でなくなんとなく政治家になる。

 そんな社会においての、道徳やモラルとしては最初に書いたように「分を知る」的な、その階級と役割を守ることに関係する事が中心になる。

未だに、黄門様や金さん、公義の隠密、武家のサラリーマン社会としての「サムライ」精神の称揚をテーマとしたテレビ番組が流され、啓蒙されている。自分の事を真面目にやっていれば、お天道様が見ていてくれる。クラスを省みずに分を超えた事をやったり和を乱すと腹切り、正しい事であれば金さんが見ていてくれて減免してくれるかもってな感じですね。

これら、固定化維持を取り仕切るのはもちろん御奉行さん。2nd ポジションの官僚になります。彼らが実質のトップ。

玉を担いだ2ndポジションは、錦の御旗として、公義、または国体護持といった事をバックに、徴兵、徴税、国民の統制管理をし、マジな末端国士官僚はそれに殉じ、周囲に強制もして来た訳ですが、66年前の今日、官僚は国民を総動員した挙げ句戦争に負けて敗戦した。

で、占領に来たアメリカ。こういった構造機能分析は、アメリカ担当官僚は占領前に出来ている。たいした物です。
最初のパレート均衡の話に戻ると、占領して実際に戦争を遂行した高級官僚を全員断罪してしまうと、占領地内の均衡が一気に崩れて、社会闘争の内乱と抵抗ゲリラが同時に渾然一体となった紛争地域、今で言えばアフガン、日本で言えば維新前夜になってしまう可能性がある。
それでは安定した冷戦戦略拠点にならない。
なので、治まってくれるならそれでいいから続けといてよと、1000年続いてる体制を温存したのがアメリカの占領政策であった。見事。

東京裁判をやって、通じていた海軍官僚は釈放、陸軍系に罪を被せて処刑し、天皇の責任は問わずに象徴というポジションに少しさげ、官僚は殆ど温存して、今も変わらず天皇が任命する形になっている。行幸や、ご成婚等をきっかけに、新しい形での皇室をプロモートする。そうやって生き延びた官僚達は、今、お受験偏差値以外になにがあるのか?

昔あったお題目、コウギやらコクタイって物は何になったのか。
それこそTV番組の様な幼稚で妙な全能感を持ったねじれた国士的マインド、それとアメリカのローマ的教育により、宗主国への忠信が変わりに入ったと見るべきでしょうか。
シー・チンピンの来日の際、禿げた人が何かわめいたり、ヒラリーが皇后陛下にチューしちゃっても黙認だったり(笑

もし、今でもある意味、国体護持だとするならば。
加えて、これまで見て来た通り、国の上と下を整えてコントロールするのが官僚であると仮定すれば、

「国体護持=官僚組織護持=自分たちの護持」

と言う事にはなりませんか。日本を守るには我々を守れば良い。
ちょっと恐ろしいですが、あながち外れてもいないのではないでしょうか。

 もとい、こうして考えると、小沢さん主導の自立した国民に主権があって、選ばれた政治家が立法して、官僚はそれを遂行する公務員という考えは、
そんなの戦後当たり前だと未だにぼけた事を言う市民は置いときますが、やはり日本初の相当ラディカルな革命運動で、しかも平和な革命で、一時的にせよクーデターで菅の傀儡政権に乗っ取られるまでは、官僚にとって、史上初めての脅威であったのだろうと思います。

 で、2つ目のお話。アメリカ。長文になりますのでいくつかに分けます。

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