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「中国化する日本」を読む。長男以外の存在。 [本]

去年の3月5日のSNSの日記の最後に、茨城でクジラが打ち上がってる。地震が来ないといいのだが、と書いてありました。

当時、クーデター政権がグズグズになって只では済まない様な妙な切迫感の中、ニュージーランド地震と同じ宏観異常。なんとなくそれらが相俟って、不安に感じていました。そして6日後に本当に大地震が来てしまった。

この1年はいろいろ有りました。今の仕事もどうなるか判らない物の、こうして忙しくもしていられ、人々と付き合ってもいられる「今日」の幸せをしみじみ感じています。

 さて、「中国化する日本」ですが、これがもの凄く面白くて、夢中になって読みました。かなり長いスパンでの歴史解釈を著したものですので、人によりいろいろ途中で引っかかるかもしれません。

あえて付けたであろうタイトルで判る様に、著者自身、夜郎自大な蒙昧な輩に対する嫌悪感が行間に滲んでいて、挑発して見せる様な所もある(笑
でもDon't judge a man until you've walked in his bootsです。取りあえず彼が言う「学問」の靴を履いて最後まで歩いてみて下さい。結論はともかく所々で引っかかる人程、いつもより長く歩いてみる事で、フン詰まっていた事が大きく広がる様な部分があるでしょう。

最早、有名書店では押し物でトップ棚入ってますし、書評も百花繚乱で、amazonだけ読んでもお腹いっぱいな感じなので、今更な書評はヤメます。私的に印象の深かった所で。

 宋時代に、貴族が消えて、徳の頂点の皇帝の下で皆科挙を基準にスーパーフラットとなって、身分制を排した近代を打ち立てたというのが「中国化」の意味で、欧州もその文脈で近代化を遅れて行った。
植民地政策、ショックドクトリンではないですが、「フロンティア」から吸い上げた富の圧力もあって、欧州の近代が後を追ったと言う訳です。あくまでその中で貴族の権利をじりじりと順々に下に卸した物が、ヨーロッパ的な民衆の権利だよと言われてみれば、まさにそうだよなと。
どうも常に上から目線の偽善の殻に包まれている様に感じ、かつそれをコピる日本人の左翼のちぐはぐさを、物心ついてから感じてましたが、その所為でしょう。
一方、鎖国&封建制度で個々の土地に垂直統合ユニットを固定して、内部は身分制で固定。今の春闘に至るような階級間関係を作ったのが「江戸化」と。いちいち頷ける事が多く、大変勉強になりました。

 満州くらいならともかく、江戸的な封建制を、スーパーフリーの味を知った近代発祥の中国に広げようとしても旨く行くわきゃないでしょ!という日中の戦争に関してはそりゃまったくだよなあ!と膝を打つ感じでした。

一方で、その戦争や、明治維新、大正デモクラシー、高度成長期の首都圏の生き様、その辺の諸々がまさに江戸的封建制の下での、田舎の長男とそれ以外の存在と言う物と激しく結びついている事について、改めて江戸化の流れで判りやすく書かれた所について、こういう話しは久々に聞いたなと感じました。

最早大半の方が直接的に実感の無い年齢だろうと思いますが、社会学的なこういう3男的観点での研究というのは、自分が大人の本を齧り始めた頃には結構見た様に思います。小説やそれこそ手塚治虫の漫画にだってありました。
しかし昨今、日本の風景が何処も同じになって来たと同時にこの辺の実感は亡くなった。今後親やその上の世代が消えるとともに、記憶や実感は消えてしまうのでしょう。今「おしん」をやっても誰も共感で泣かない世になった。

あれだけ「哀史」とされる野麦峠の女工さんは、実はそれでも家の仕事より良かったという隠れた前提がある。
やはり哀史としての「お国の為の」戦争に送られて散華した若い兵達。彼らもやはり語られぬ前提があって、奉公に出されて野垂れ死ぬか、良くて作男の3男は、出征がもの凄く清々しく開放的だったかもしれない事も想像がつく。そういった事に対する実感ですね。

 そんなに昔の話しではないんですが、私、一生無免許でクルマを運転していた人を知っています。それはヤンキーや、珍走団の話しではありません。農林作業なんかで便利ですから、軽トラとか覚えて乗る。酔って田んぼにハマった時バレる。繰り返しているうちにお迎えが来てしまった。なにしろ牛の代わりですからね。

著者的に言えば、封建制の名残で、公権力もそんなにひどいオトガメはしない。お巡りさんも「マンズ○×のジンベさも困ったもんだ」ってな具合です。
そんな人がいるような、電話だって全戸にあった訳ではない、殆ど戦前戦後の区別等無い江戸のままかという田舎の部落は、おおよそ私が小学校の頃まで日本中にあったはずです。

そこに生きる爺さん婆さんの中には、読み書きが十分でない人が沢山いた。著者ならずとも、寺子屋、識字率が日本の発展にと教わることは、正直微妙だなと思っていました。実際自分の婆さんの一人は読み書きは苦手でしたし、その旦那さんは書けましたが、これが普通に読み書きというのと違う。古文書の様な凄い字なんですね。

古文書ってのは、まさに勘定や契約な訳で、仕事上自営なので勘定が出来て、必要なイベントで扱う様式を把握しているという感じでした。当然昭和も50年代くらいになると仕事のやり取りも世に合わなくなり、その息子が諸々行う事になりました。

思い出すに、思った事をしたためる事はあまり無かった様に思います。たまの手紙は確かカナ混じりの文だった。つまり、感情の発露、コミュニケーションと言う物が、今私も含めblogにオナニー的に書き散らしているような現代の人間、自省的なモノローグをスラスラとノタまう我々と全く異なり、それが普通の人の振る舞いでもあった訳です。

 上の免許無し爺さんと近い世代の人には、子供心に不思議な人もいました。それこそ後から考えれば、作男的な存在であったのか、敷地の妙な所に無理矢理掘建て小屋みたいな家を建てて住んでいたり。長男以外は奉公に出たり、江戸ならぬ東京に働きに出たりした。
実際樺太で亡くなったやら、旅館に奉公に出て肺を病んで亡くなったやら、行方知れずになったやら、そんな話しが多かった。

そんな封建的な村で生きる事や、そういった感情を普段表さない安全弁として、祭り等があったように思う。皆祭りはとても大事にする。意味が不明でもやるんです(笑)とにかく飲めや歌え。そういうとき酒乱は布団蒸しにする。ビョーキが治らんと座敷牢にと。
西鶴とか徒然草等古典をよんでも、あさまし(笑)と同じ様子を書き記したものが結構有る。

当時は東北の日本海側から東京に出るなんて今NYで和食屋バイトに行く10倍くらいは大変です。なので奉公に出れば、出たきり一生会わない事もあった。
我々の親の世代は、この本では、それがあくまでタイミング的な僥倖であったと書かれていますが、多く仕事があって、経済が上向いていたので、奉公先ですりつぶされる様に死んだりせずに都会に出てなんとか小単位で家を等持つ事も出来た。

これが経済的に大変で、かつレッセフェールだとどうなるか。
半年くらい前に、明治末期の東京の下町の様子のルポが乗っている、「東京の下層社会」(ちくま学芸文庫)を読みました、ネットカフェなんて極上ホテル。当時の下層社会を知る事が出来ます。彼らが主に食っていたのは集めて売ってた残飯です。そんな残飯にもグレードがあって、極上品があった。それがまさに、軍の宿舎の下水から流れる物だった訳ですね。

どれだけ軍人さんが眩しかったか想像がつくという物です。
一生うだつの上がらない運命を強いる、村や家族のヒエラルキーを遥かに超える、「お国の為」に働く人として尊敬され、服も支給され、違う国にも行き、勉学も、飯もと。文化的な暮らしを送る為のかなり割のいい手段であったと思われます。自分が作男にもなれず、当然嫁も貰えず、さらに似た様な家の奉公に出されて実家よりこき使われて客死するより、また貧民窟で残飯食ってのたれ死ぬのと比べれば、兵隊さんは最高のチャンスだったかもしれない。
一方でそんな時代で貧農救済もテーマの一つに、江戸的に5.15事件とかそんな出自の軍人が起こしてしまうのも判る。

私の親の時代になっても、田舎では学校の前に朝牛馬の世話、雪山で炭焼き、奉公先に出されれば、一日働けばもう一日学校に行って良い、という過酷さもあったと存命の親類より聞きます。それ以前は一体いかほどかっていう話しですね。
そこを抜け出せて、長男でも得られない、生活、文化、なにより一生得る事など適わなかった尊敬と大目的を得て、思い切りやって、それで死ぬことがあったって、素晴らしい取引であったかもしれない。

だから、清々しく、国を守る為に活躍した清廉な沢山の末端の軍人を賛美して何が悪いという事と、国の為と信じこまされ若い命を散らした悲劇よ、という人の双方が本質と主体を外している。
前者を間違うのは、まさに現実社会ではかばかしく無い、ネット右翼という存在であり、後者は、無理矢理徴用された国の犠牲者と、市民と言う上から目線で認識したがる左翼である訳です。

ご遺族の方の実感としては、
まるで今の世からすれば地獄の様な、奉公の暮らしから逃れ、生まれて初めて感じる様な長男を超える大きなテーマの為に身を捧げると言う事に、半ば喜んで兵隊に行ったよと、それでもやっぱり死んでしまったのだ。今の誰も国の為に戦争に命など捧げなくても良い世から考えれば、ホントに不憫な事であったと。
清々しく突っ込んでいったのは、それが江戸的序列の平和の犠牲として、すりつぶされて死んで行くより遥かに良かったからかもしれず、悲しむ遺族の涙は、そのようであった親族を近代寄りの今となって不憫に思う涙、で有るかもしれない。

そんな主体からみれば、ネトウヨに対しては、前者に対して見れば、そうだねえ、そういう時代であって、悪と言われては罰が当たるかもと言ってもくれる。
市民に対しては、後者には、なんだかんだ、そうかもしれんね、最終的には犠牲に旨く使われたかねえと応対もしてくれる。

そういう実感を上澄みの2項対立で消し去っては、いけないと思うのです。

この本では他にもいろいろ思う事がありました。本来「科挙」「官僚」というのは似た性質であるはずだけども、良く書く、日本の夏、官僚の夏(笑)的なサムライエトスとの関係等、少し整理しきれていない所もあります。ブロンなのだろうか?
随分前に、スーパー恥ずかしい千年史ならぬ、250年史を3連投でここに書いたりしてるのですが、間違ってる(笑)割に、ポイントが似ていたりするので、與那覇さんの学問成果に照らして、反省して見たりしてみたいと思ってます。

またちょくちょく纏まったら書く事にいたします。この辺で。
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