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小沢一郎氏の無罪判決。 [政治]

(5/2 後半下書きのまま一旦upしてしまいました。内容そのままで文を急ぎ手直ししました。読みにくい物を上げてしまい、失礼しました)

遅ればせながら、小沢一郎氏の判決、本当に良かったです。
正直、ジェラルド・カーティスの会見が判決後すぐに用意されていると聞いた時は、やはりダメかと思っていました。

各勢力のせめぎ合いの結果としてそうなっただけという一面もあるかもしれませんが、そうだとしても、無罪判決を下した事は本当に良かった。

これまで、強力な国民代表が出たら必ず潰されるのはデフォルトに近い日本の情勢でありました。しかし今回は、佐藤優さん以後、かつネットの普及した時代。これまで殆ど無いくらいに無理筋甚だしい展開が国民注視の下に繰り広げられました。
ここまでして無理矢理有罪に持って行かれるのだと、ニューマ読む以外に思考を持つ誰もが思ったはず。

検察が嵌め込む手口、捏造調書の作り方、それでもダメなら、「どこぞの”市民”が2回起訴相当だと審査会で言った」事にすれば、なんと証拠無しに起訴出来る事も判った。
一方で官僚公務員と利害がぶつからない、暗に取引出来ている議員は、遥かに顕在的な違法行為の恐れがあっても起訴される事も無くつつがなくやっている事もまた明白となりました。

特捜、検察という組織というのは、正義どころかターゲットありきで事件を作る為に運用され、そしてそれに被疑者を同意させる為に、陰に陽に、本人や関係者を脅迫させる職人技であるという、特殊な人材である事が、満天下にさらされた。
最早逮捕者も出る状況となり、おそらく今回で存在の意義が見直されるでしょう。

この間多くの人がその様な経過を見ている中で、結果有罪となったらどうなるか。
司法は、もう法的是々非々を捨てて、ニューマで生きる人達の心をメディアを通して安んじる為の、一定のプロセスを演技してあげる、ただの黒衣のコスプレ劇団だと言ってるようなもの。

その瞬間、これまで法の元の正義や、民主政体というものが「実際は微妙だけど、少しはあるかも」と思っていた国民は、国の舵取りに最も適していると国民が信任していた小沢さんが潰される事で、ついに「やっぱり無いんだ」に変わる。

政府の運営の為に徴税していいと憲法に書いてあるから、ちゃんと公務してねと払っているのに、国民の代表、つまりは我々を潰す装置に追い銭を払ってやっているのだ、としみじみと判るでしょう。「一縷の望み」の無い世界、つまり政府、公務員が完全な「国民の敵」になる領域に踏み込んでしまう。

そうなった時、全国民総鬱状態、デプレッションに陥って、奴隷同然になる事等あり得ない訳です。逆に、今の政府を税金を独占していい唯一の存在であるのはおかしいとする動きが出てくる。官財メディアお得意の筈のニューマ操作も効かないような。

更に問題なのは、それを利用しようとする存在が虎視眈々とそれを狙っている事です。
本人が最後どうひねるか、最後誰が残るか注目してますが、橋下市長の周辺を取り巻く動きはそういった物でもあるでしょう。
官僚公務員は国民以外の評価者ばかり見てるので、結果国民を苦しめる事をしていますが、しかし自らのレゾンテートルはあくまで国民にある事は忘れてはいけない。国民以外のステークホルダー的存在は、両張りしてます。きっかけがあった時に一気に解体、別の形に再構築されるのは、下手すると我々より現状の政府官僚、自治体側等の公務員組織が先かもしれません。

これは民間サラリーマンなら慣れ親しんでいる事態です。
ステークホルダーから送り込まれて、株主価値を優先してリストラをし、資産を売って、存在意義そのものを殺してしまい、暖簾代で買われて消える企業と同じ。正直、TPPの対応は、せっせと企業価値を売り渡す姿と変わらない様に見えます。果ては似た様な事になる。その事を官僚公務員の皆さんには判って欲しい。これは市場の一企業の話しではなく国の話。国売っちゃったら、真っ先に存在意義が消えて要らなくなるのはあなた方。

政府自治体の切り崩しは、言わずもがなですが、ショックドクトリンの最高の機会の一つ。ウホッてなもんです。結果我々国民の生活は混乱を極めるであろう事は、歴史の証明として、このblogを始めるきっかけとなったナオミ・クラインさんの著作でされています。

このblogでは、官僚公務員の皆さんには、まあ、読み返しても厳しい話しばっかりで(笑)申し訳ないのですが、今回の判決は以後国民とは分断されてしまうギリギリのポイントでした。しかしながら、なんとか、本来世界的にあるべき「法」の下の判決に落ち着いた。

判決を出した側がどんな思惑、汚い話、諸々が裏にあったとしても関係ない。法に従って無罪である、という事がレコード、記録に残り、歴史に残った。もしかすると明治以前含めて、裁判にまで持ち込まれた元首クラスの人間が、無罪になったのは史上初かもしれません。

 そして、返す返すも、国力上げてアラ探し、ネガキャンをされても、ネズミも出なかった小沢一郎氏のクリーンさは凄い。政治家ですから単純な意味でクリーンとは言いません。でも、ある時点で強い意志を持ってそうして、今や「法」の執行側よりクリーンであった事で、今回の判決になった訳です。この事は、本当に凄い事だと、判決より繰り返し思っています。

官僚組織が転向し、賢明にもここは無罪にせざるを得ないと決断できたのは、氏自身が政治家でありながらも「無罪」である状態に身辺を整え続けてくれたからです。
国民と、官僚公務員の皆さんが、完全に分断される所を、小沢氏の志の高さに救われた。文字通り救国の父です。

ほかの政治家レベルであったなら、「しょうがない事」を主張し合い、国民も官僚も半分分断されたままグズグズのもっと酷い結果に突っ込んでいったでしょう。エントロピー的に言えば、保持し難い価値を現役で縮減し続ける存在であり、それが出来る人間であったからこそ、それを避ける事が出来た。小沢氏の沢山の弟子達は、その本質的な意味を良く噛み締めて欲しいです。

裁判で法の結果が出た後に、「国会での説明責任」とか今更ニューマカタルシス劇場に戻すような事をおっしゃってる、今やとても残念な議員の方も居られる様ですが、とにかく、今まで官僚公務員の皆さんに対して批判的に書いて来た意図、それと全く同じ意味において、今回踏ん張って頂いた官僚公務員の方々に感謝します。なにしろ基本我々は一体。割られたら終わりなのですから。
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