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マジョリティ。 [日記]

それでも時は進んでゆくって感じの年末です。

なんだか、選挙前に書いた、前のエントリのままの結果となってから、原発ほか、国を挙げて大問題となっていた事が日々何も問題でなかったかのようにメディアのサポートでひっくり返されて行きます。

この悲しき積み上がらなさ、これは最早現在の我が国の特性ですかね。
せめてもう少し相対的な観点が出来るまでは積み上がらないかな、と思うのですが、ダメですねえ。

日本人が脳の関節が少ないと言っているのではなく(正直自分も含め、若干そんな気もしますが)、社会システム的な意味です。

制度的不全や不正で、選挙のシステムがワークしないという事はあるでしょうが、考えてみると、現政権は高年齢層、宗教団体、中小企業層、右翼層と言うところでマジョリティと言い難い。
実質もう少しモダンな選択肢を選びたい人がマジョリティかつ税金をメインで担っている人々の様に思いますが、それを確認したり共有する場所はない。隙間が無い用になっている。

サイレントマジョリティという言葉は最早死後ですが、結局ショックドクトリンではないですが、その基本となる、洗脳テクニックのトレーニングで教える基本中の基本、「有効なコミュニケーションを断つ」事でサイレントなままにさせるというのは同じ事かなと思います。

大半の人は、考えのプルーフを求め、未だに、マスメディアの作り物を見て影響される癖がぬけない。番組も紙面もすべからく意図され企画されている物だと言う情報は頭に入っていますが、一方で皆がソースに当たる事等しないし、中堅層はする暇も無い。
日本人はやはり周囲を気にしますから、共感を確認してマジョリティになっていないと、もしくはなりそうでないと動かない。

不完全な受け皿として、伝統的なリベラルや左翼系統の活動がありますが、基本的にそういった、批判、止める、させないというのは、責任とともに主体性を相手方に渡してしまっているので、その主体に向け、自分たち市民は「コストの権利がある」として振る舞っているという事になってしまう。

むしろ官僚や政権党等の主体から新たな税制を作る為の社会保障費の増大の為のきっかけで使われる事が多い。経済、外交政策立案と実行が担えないのはもちろん、キャスティングボードも握れないので法制化の歯止めにもならず脱力感だけを味わうという。

そういった事を考え合わせると、民主党の参院勝利から、政権を取って鳩山氏が追い込まれて辞任する間(それ以降は自民と同様、民主党型従米政権なので、意味は無い)は、歴史的に見ても素晴らしい可能性を秘めた時代だったのだなと思い返しますね。

当時を考えると、マスメディアが総攻撃をしても小沢民主党が勝った訳で、その意味では、マジョリティは眠って静かにしているといえるのかも!

なんて(笑)そう考えたいところです。

本年はこの辺で。
良いお年を。
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