SSブログ

ドリフトの遍歴最終回。 [日記]

 「属国・日本論」に始まる覇権国と属国理論は、副島先生の物、[コピーライト]ですが、これはもう積年の疑問に関して、オセロが一気にめくれる様な感じで答えを与えてくれる一方で、近隣各国との関係も一気に理解が深まった部分があります。

個々人とはどの国だろうが全く気にせずつき合うこれまでの人生ですが、話題が相対的な国となると、酒等入った席では東アジアに対しネトウヨっぽい発言をする人が結構居る。そういう場で、いわゆる穏便な「リベラル」的態度で過ごしてましたが、自身、上から目線で嘘くさいよなと思っていました。

しかし、この理論で見る癖がついてからは、例えば岡田英弘さんの本に書かれている歴史が事実に近く、時々の大陸状況に合わせ、地政学を知る流れで数冊読んだ、スティーブン・M・ウォルトが分類する様な周辺国の振る舞いを都度採って今に至るというだけの事が分かる。全てはそういう中で衝突や文化の流入等がある。そうすると、煽りは煽り、事実は事実と、プロパガンダに左右されなくなってくるものです。

 ネトウヨもリベラルもそうですが、自分が何か特別な人間であると思いたい気持ちは判らない訳ではない。若い頃の事を考えると、それはきっと知見が未熟な為の不安から来る物だろうと思う。実際、格段に所与の優位性が自分や国にあると言う選民的な根拠等、探して見た所でみつかる訳ではないし、今現在親や環境によって成り立つ自分と、それぞれ考え行っていることくらいしかない。

しかし、ショックドクトリンではないですが、不安や恐怖があると埋める物を探す。
集合的妄想とそれを利用したeasyにカタルシスを満たす様なプロパガンダの立て付けに頭をゆだねてしまいがちで、それは、官製流行語から、果ては日本民族とか欧米礼賛とか、第○インターナショナル的なものとか、宗教とか。スピリチュアルは、スピリチュアル国家とかないからいいか(笑)

集団的な幻想、妄想を形作る言論人は、自覚的なプロパガンダのエージェントも居れば、無意識に妄想を強化すベく事実を位置づけて一生懸命語る人もいて、また突発的、暴力的な性質を発揮する場所として蛮勇を使って礼賛されたりする人もいて、集合の妄想が強化されていく。

生来そういうものに埋没しきる事ができない質なので私の場合選択肢がないのですが、それに身をゆだねるのは、自分を生きていない様に感じてしまうけども、どうでしょうか。

 実際、良く知るには、結構頭を使うし疲れることは確かです。

副島先生の「覇権アメ」本の分析を読んだ時、政治思想を正確に理解してないと、このように分類し、客観体系化して、腹に落ちる事が出来ないのだと悟りました。基礎と、特に時系列で理解している事が重要で、世の中のウソは、言わない、主体が変わる、時系列をズラす、と大体この3つで出来上がっているので、都合の良い妄想へ転がり落ちるまであっという間です。

弟子の中田さんの「ジャパン・ハンドラーズ」や古村さんの「アメリカ政治の秘密」等も素晴らしい調査分析で、同じ棚に並ぶ手垢のついた評論家、言論人や、狭い専門性の人々のこれまでの著作とは比べ物にならない。
大体、このあたりのネタで平積み出来る著者ってのは、置かれる理由を、本を物するより先に持っている人ばかりですから。今ようやく一等地に平積みになる先生ですが、私読み始めた頃は版元の傾向もありますが、何割かはトンデモ本コーナーにあったりしました。「赤狩り」で有名なマッカーシーの書いた、「ジョージ・マーシャルの背信外交」の副島先生の訳本は有隣堂レベルの本屋で精神世界コーナーであった。

脱線しますが、この本面白かったです。
主訴は、利敵外交政策を取ってるのは何故だ?というもので、教科書で教え込まれた「赤狩り」そのものは多分マッカーシーと関係が薄い。ハリウッドやらなにやらの文革みたいな共産主義者排斥なんぞの中心に居る筈も無く、多分当時いろいろスピンがあったのでしょう。戦後5年にして、すでに真珠湾がアメリカ側の仕掛けだと書いてある驚くような箇所もあり、洞察に優れた人だったんだろうと思います。
普通の棚に無ければ、精神世界コーナーにあるかもしれないので、是非(笑

 もとい、メディア関係者、特に新聞、出版系やライターがそれらを読んでない筈が無い。絶対に新刊をウキウキと心待ちにしている筈なんです。時事分析にあたって日本が持つ視点で普通に手に入る物として一番高いものの一つですから。

実際のメディア言論の場には、御用知識人、言論人、キャスター的な人物がまず居て、専門領域を外れると町の一般人レベルのコメントしかできない専門家やら、閉じた学者が、筋書きの強化役とCM前のなごみコメント目当てに呼ばれる。官僚メディア一体のキャスティングがされている。日本の知性の代表となっているのは精々ハンドラーズ傘下の留学組です。
民主党政権成立の流れや、今書棚をにぎわす恐慌や日米関係の著作の潮流は、先生やお弟子さんの言説が一つの軸になっていたと思いますが、メディアは完全黙殺。結局、江藤淳の「閉ざされた言語空間」は未だに続いている。

逆に言うと、プロモーション無しに価値が維持できる理由はとても簡単で、本物だからです。

例えば、実売 x 影響力 / マスメディア露出という計算をした場合、道場の方々の著作は日本最高の数値を叩き出しているのではないか(笑
これは高い技術と同じで、優れて集約されているので、エントロピー的にぱーっと消尽拡散しないで、価値を保つ。妄想強化の介添え役程度では、数年持たない。夜郎自大な基準でなく、世界基準に照らし調査分析するから価値がある。

言論人としてマスメディアに長く出ている様な人は、別の価値なんです。それはプロパガンダ装置に適したA&Rのノウハウを持って、一生懸命事務所としてタレント活動をしているという価値です。これは芸能界の話で「知識人、言論人カテゴリ」のタレントさんの仕事。もしその言論を自分の基準としている人がいるとすれば、閉ざされた枠があってのお仕事なのだと、いい加減に気付いて欲しいなと思います。

いずれにしても、二人目の「導師」は、日本で見えにくいワールドバリューズの体系を、客観性を持って日本人の立場から、見えにくい理由も含めて指導してくれる先生であり、狭い自分の知見を、飛躍的に広げて頂きました。

精々読書人としての知見ではありますが、そういう頭が出来てくると、学問も修めていない留学もしていない一般ドメスティックサラリーマンが、知らないうちに「The Shock Doctrine」や前に書いた「Dismantling the empire」くらいまでなら、絶対に本文+解説ムックのようになってしまう訳本より、少し判らなくても、原著の方が読みやすいと生意気にも思うくらいになったりもする。
それで、このようなblogも書く事になった次第です。「The Shock Doctrine」はその後岩波から出て、やはりそんな感じの大部の本になりましたが(笑

 そんなこんなで、幼少の疑問から、例の「遺書」、頭のくさびが外れ、自由になって、加速度をつけて知見が広がりながら、更に知りたいことを探索して現在に至るその遍歴が、片付け中の本棚に見事に現れていて、長きに渡る、幼少からの疑問におおよそカタがついていたのだと思った訳です。
知らないうちに自由を、それは凄く特殊で走りにくい道を、バイクで自己責任で走る様な自由ですが(笑)手に入れていたなと。

ああ、すっかり長く書いてしまいました。

今回削って残した本を、娘が大きくなって手にする事は、果たしてあるだろうかねと思ったりしつつ、この辺でドリフトの遍歴の振り返りを終えたいと思います。

それでは。また。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。