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その後。 [日記]

介護と呼べる状況に入りかけてから、ほぼ4か月程経ちまして、父の具合も完全には戻らないでしょうが、かなり良くなり、母もそれほど進行していない。

毎週クルマで週末1時間かけて実家に行って世話をし、通院や用事の際は休暇をとりながらも、いくつかのサポートを得ながらやっています。両親の暮しを実家でなんとか生活を成立させ、小さい子のいる自分の家庭も壊さずに、仕事も結果的に大きな変化なく、今日を迎えられています。

正直自分への負担はかなり大きいですが、やれるという見込みを持てています。今の状態が恒久的ではないにせよ、次も次で考えて動いて行く事が出来ると思う。

 父が入院して認知症の母と二人の頃は、実家に張り付かざるを得ず、デイサービスの合間に病院に行くと、弱った父からも仕事諦めてくれという様な事を言われました。確かに当時の状況ではどうしようも無く見え、そういう話も大変良く聞く。一時期は仕事を継続する事も諦めざるを得ないかと思いました。

当時3年近く育てて来た仕事に予算がつき、そのプロジェクトのリーダーとなって2か月。年齢的に今後そうそういくつもやれない。それ以前に、現時点でそれなりに重宝されている所のあるサラリーマンですからすぐにクビになる事は無いですが、休暇を使い切れば休職となる。

当然キャッシュフローはアウトばかりになり、ローンを払ってはやって行けない。子供が小さくて1馬力ですから、自分が倒れたらそれで終わりです。それを置いても、休職して介護にあたったとして、いつまで続くか判らない中、昔風に言うサラリーマンとしては、最早終盤ですから戻った所でどうなるか判らない。
結構誤解も多いのですが、介護休暇ってのは介護そのものの時間を頂ける訳ではなくて、介護申請等の為の休暇という意味ですので、休職が基本です。

なんとか会社に行ったとしても、週3日、デイサービスの合間しか会社に顔を出せない。3時間しか行けない状況で、仕事も最早限界と。

人それぞれなので、余り参考にはならないと思いますが、そんな中でどうしたか書いて行きます。

まず第一に決めた事は、「また両親二人で実家で暮らせる事を目標にする」という事です。父も事故が無くても神経系の難病もあり要介護、介助の状態だったので、なかなか厳しい目標ですが、まずは父の認定の方を進める。

一方で母のショートステイか、短期入所を懸命に探しました。母の病院が預かれますと言うのですが、見せてもらうとかなり厳しい。そこはもうかなり進んだ方が多かった。この中に入ると一気に進むだろうと。
一方で父の病院のワーカーに相談していたのですが、2週間かそこら過ぎた頃、系列で老健施設に空きがあった。見に行くと、デイサービスの施設とほぼ変わりないし、皆結構明るい。

で決断をしました。
申し訳ないと思いながら母を入れた。多かれ少なかれそう言う物だからとワーカーや施設の人にも慰められましたが、半分騙して入所させる。これはやはり「捨てる」訳です。本人は行きたく無いわけですから。これで良かったのかといい歳で泣きながらの帰り道の運転中に見たキツい色の夕焼けは忘れる事が出来ません。

実務的な細かな話ですが、そこから服や下着やら、入れ歯のケースやら何やら、全部揃えて名前を書くような事も、契約以外に必要になる訳ですね。両親共に投薬があるので、お薬手帳やら医療連携も取らなければいけない。これは経験の無い人にはとまどう事になると思います。また実家周辺でゴミ出しや町内会的な部分において、ある程度挨拶とお願いをしないといけない。

父の退院と予後の相談を病院や地域のケアワーカーと相談して、一旦家に戻し暮らせるか見極めるべく、リハビリ施設にいれずに家に戻す事にする。母が入所してから父が退院するまで1週間程度の余裕を作り、ここで鬼の様に仕事を片付ける。

で、父の退院ですが、まず、道路から階段で家に上がれるかどうかです。そして暮らしに障害がないように家を整えて、出来ない家事の対策を取り、介護認定前提のサービスも幾つか頼む。
母が帰ってくると振り回されますから、まずは一人で暮らせるか見極める。頭はしっかりしていますから、安全面だけ守れれば、一人で家においておく事が出来るから仕事にいける。
ここから2週間でそれなりの状態となったので、施設に母を迎えに行く。前日が納涼祭で、会うと浴衣等着させられて、結構それなりにやっている。見つけると「こんなに人がいるのにお前よくわかったねえ」と言われ、進んでいないなとホッとしました。
翌日から、家事と食料、その他必要な物が2倍になりますから、その辺のケアをする。週一で実家を整えて、問題があれば解決する。

9月から、溜まっていた海外の各地域のセットアップで、出張も入れました。3週間くらいは海外に居た事になります。キツいスケジュールで疲労困憊ですが、ロンドンやらニューヨークに居ても、Amazonで必要なものを実家宛に注文できる時代。これは本当に助かりました。海外の路上で、空港で、スマホで総菜やパッドやらを実家に頼む。

帰国して実家で状態を確認し、料理や仕込み、ハウスホールドをして、偶の食事をすると。
そんな感じでなんとか回っています。

しみじみ感じたのは、介護保険前提のサービスというのは、いざと言う時、そしていよいよという時には本当に有り難いものですが、それに頼り切った前提で目指さない方が恐らくいいと思います。そこは最後のポイントだと思った方がよい。
というのは、人に合わせて制度は出来て居らず、営利団体に卸す訳ですから、人の方が食われて行く部分がどうしてもある。どうしようもない所までまだ来ていなければ、「まず暮しを保つには」と言う事を考え抜いた後に使い方を考える、という順番が吉だと思います。
後はお金は肝心です。バッファとフロー。これをとにかく確保できていないと、予定が崩れた際のリカバリが難しい。

例えば介護度が取れないとか、サービスが無いとか、一方、個別事情でどうしようもない、という局面に陥る事は多々あります。保健医療と同じなのですね。

後は割り切りと時間の使い方と周囲の巻き込み方。
私の場合、地方から東京に出て来た両親と私だけなので、どうにもならないのですが、この間、兄弟、親類縁者の援助が得られれば、本当に有り難いだろうなと思いました。

一方、まだお願いはしていないのですが、手伝うよ言ってくれる長い友人も幾人かあって、これは心の奥に灯がともるような申し出でした。そういった人の繋がりで助け合って進めて行かなければ、本質的に「良い」方に進む事はないだろうなと。そう思います。

制度に任せきりはやはり姥捨て山なんだろうと。そしてそれもしょうがない事もあるけども、ギリギリまで保つには、そうした人の繋がりと場所がいるのだろうと。それによってこそ、逆に暮しをなんとか保ったままお迎えが来るまで行ける事もあるのだろうと。

そんな風に思いました。
この辺で。
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