同期会で疲れる。 [日記]
卑近なお話なんですが。
同期会で疲れたというお話。
会社の同期が赴任から戻って近場の部署に配属されたので、飲み会でもしようと数名にメールしてみると、25年前に同じ事業部に配属されて東京圏に残っている連中は未だに結構居て、10人以上集まった。
懐かしい顔ぶれにいろいろ昔話に花が咲く、という状態に相成る訳ですが、少し経って、ああー、そうだったなと思い出す。自分が昔と同じ行動をしている事に気づいた。
少しは人生変わっていそうな連中を探す。そして居ない。
その部署に配属された同期達、彼らは主にマネジメントも含むエンジニアまわりなのですが、ずっと自分たちの会社のグループの組織の中で起きた事、仕事、同僚、後はそのコミュニティの中の事、本当に、驚くくらいにこれしか喋らないのです。
それ以外は、社会常識、通念、今の話題であっても、テレビの事以外は、なにそれ?という具合で、本当に恐るべきレベルなのですね。趣味だろうが何だろうが話題を振ってもすぐ終わってしまう。
彼らの外界とのミドルマンは組織の中で決まっていて、その人が、「これこれこのようである」という説明がされて、彼らの中で位置づける機会が無いと、何も意味を持たないのです。
50近くなれば、人生でいろいろあるだろうから、そういった深みも出て来るだろうと思って、また一人一人、昔とは変わった奴がいないか探す。
でもこれがまた厳しい。プライベートのそういった事も所謂「赴任者コミュニティ」みたいな感じなんです。今時、こんな社員が居る会社だとは誰からも思われていないだろうなと。
そんな状況なので、今は違う組織にいる、出世頭の女性の同期と中盤から一緒に落ち着いてそこからあまり動かなくなる。
彼女は私みたいにあっちこっち、全く違う仕事や分野を殆ど外ととやって来た人間ではないのですが、スタッフ部門で、HQのマネジメントや、昔から事業部のマネジメントに近いので客観性がある。滅多に来ないので、私と同じスタンスですが、チイママタイプというか。そういった内勤のあしらいは上手い。この中で、普通に一対一でストレス無く話しが出来る同期は、彼女ともう一人いるかいないか。
まあ、普段は基本つき合わない様にしていれば良いだけの話です。昔話や所属の共感で一杯の同期会なんて10年に1度もあれば結構。
ただ今回それだけでない所にも少し思いが致ったのですね。
我々最早入社して結構な年月が経っている訳ですが、担当部長くらいのも居るんですが、この間何も成立させて来なかったというこれまでの事実を考える。ここに居る同期が皆原因だ、という訳ではないんですが、この上から3年くらいの人材は、縮小されるままに、むしろ毀損して来た事も多い。それを守りもしなかった。そうして生き残った連中なんだよなと。
格段に何かをしようという意志もない。
当然こすからい奴ばかりではないし、またそうであるからして、そういう奴は出世もしないけども、大きい会社というのは、予算と時間にどうしても隙間が出来るので、ひどいのも居る訳です。コンプラとアカウンタビリティだけに長けた自己実現餓鬼みたいなのが。
でも大きく見れば、ずっと歯車、コストの高いそれだったんだろうなと思う訳です。
リストラ時代、間違ったリストラも沢山ある訳で、間違った事業指針や可能性を削るような策も多くあって、人材も抜けていきました。阿鼻叫喚もあった。また、やりたい事が少しはあって、何も出来なければ外でやりますよね。普通は。
で、縮小するばかりだったので、大きく上のマネジメントの配置は変わりつつ、組織はデノミされつつ、それほど事業の外から人も来ない。黒字にしろくらいの物。
そういう組織からこぼれ落ちる人を見ない様にしながら、実を潜め、漸く一息ついた時に、与えられた通りの仕事以外やらなかった彼らが、あたかも事業体全体がそこそこ盛り返して来た今、何もしていないのにイノベーターであるかのような(笑)もしくは事業のコアが自分等である様な気分も垣間見える人もいる。良く書きますが、サークルで、学園祭のたこ焼きの担当が、俺がアーティスト呼んでライブ組んだぜ的な。
なんだかな的日本の一幕だなあ。。と。
少なくとも、その組織には自分も外部も投資はしない。
内部でずっとこのままである事は、事業的にはBADだよと。まあそれぞれ暮らしがある訳ですからそんなコト言いませんけども。
逆に、調子に乗って中心に入り込んで来て予算を使い始めると、これはこれで危険な事になる。ウチの会社は過去何度かそういう類いの事があった。
他部署の同期等とはコミュニケーションは良く取っているのですが、
久々のこの括り、なかなか疲れる同期会でした。
この辺で。
同期会で疲れたというお話。
会社の同期が赴任から戻って近場の部署に配属されたので、飲み会でもしようと数名にメールしてみると、25年前に同じ事業部に配属されて東京圏に残っている連中は未だに結構居て、10人以上集まった。
懐かしい顔ぶれにいろいろ昔話に花が咲く、という状態に相成る訳ですが、少し経って、ああー、そうだったなと思い出す。自分が昔と同じ行動をしている事に気づいた。
少しは人生変わっていそうな連中を探す。そして居ない。
その部署に配属された同期達、彼らは主にマネジメントも含むエンジニアまわりなのですが、ずっと自分たちの会社のグループの組織の中で起きた事、仕事、同僚、後はそのコミュニティの中の事、本当に、驚くくらいにこれしか喋らないのです。
それ以外は、社会常識、通念、今の話題であっても、テレビの事以外は、なにそれ?という具合で、本当に恐るべきレベルなのですね。趣味だろうが何だろうが話題を振ってもすぐ終わってしまう。
彼らの外界とのミドルマンは組織の中で決まっていて、その人が、「これこれこのようである」という説明がされて、彼らの中で位置づける機会が無いと、何も意味を持たないのです。
50近くなれば、人生でいろいろあるだろうから、そういった深みも出て来るだろうと思って、また一人一人、昔とは変わった奴がいないか探す。
でもこれがまた厳しい。プライベートのそういった事も所謂「赴任者コミュニティ」みたいな感じなんです。今時、こんな社員が居る会社だとは誰からも思われていないだろうなと。
そんな状況なので、今は違う組織にいる、出世頭の女性の同期と中盤から一緒に落ち着いてそこからあまり動かなくなる。
彼女は私みたいにあっちこっち、全く違う仕事や分野を殆ど外ととやって来た人間ではないのですが、スタッフ部門で、HQのマネジメントや、昔から事業部のマネジメントに近いので客観性がある。滅多に来ないので、私と同じスタンスですが、チイママタイプというか。そういった内勤のあしらいは上手い。この中で、普通に一対一でストレス無く話しが出来る同期は、彼女ともう一人いるかいないか。
まあ、普段は基本つき合わない様にしていれば良いだけの話です。昔話や所属の共感で一杯の同期会なんて10年に1度もあれば結構。
ただ今回それだけでない所にも少し思いが致ったのですね。
我々最早入社して結構な年月が経っている訳ですが、担当部長くらいのも居るんですが、この間何も成立させて来なかったというこれまでの事実を考える。ここに居る同期が皆原因だ、という訳ではないんですが、この上から3年くらいの人材は、縮小されるままに、むしろ毀損して来た事も多い。それを守りもしなかった。そうして生き残った連中なんだよなと。
格段に何かをしようという意志もない。
当然こすからい奴ばかりではないし、またそうであるからして、そういう奴は出世もしないけども、大きい会社というのは、予算と時間にどうしても隙間が出来るので、ひどいのも居る訳です。コンプラとアカウンタビリティだけに長けた自己実現餓鬼みたいなのが。
でも大きく見れば、ずっと歯車、コストの高いそれだったんだろうなと思う訳です。
リストラ時代、間違ったリストラも沢山ある訳で、間違った事業指針や可能性を削るような策も多くあって、人材も抜けていきました。阿鼻叫喚もあった。また、やりたい事が少しはあって、何も出来なければ外でやりますよね。普通は。
で、縮小するばかりだったので、大きく上のマネジメントの配置は変わりつつ、組織はデノミされつつ、それほど事業の外から人も来ない。黒字にしろくらいの物。
そういう組織からこぼれ落ちる人を見ない様にしながら、実を潜め、漸く一息ついた時に、与えられた通りの仕事以外やらなかった彼らが、あたかも事業体全体がそこそこ盛り返して来た今、何もしていないのにイノベーターであるかのような(笑)もしくは事業のコアが自分等である様な気分も垣間見える人もいる。良く書きますが、サークルで、学園祭のたこ焼きの担当が、俺がアーティスト呼んでライブ組んだぜ的な。
なんだかな的日本の一幕だなあ。。と。
少なくとも、その組織には自分も外部も投資はしない。
内部でずっとこのままである事は、事業的にはBADだよと。まあそれぞれ暮らしがある訳ですからそんなコト言いませんけども。
逆に、調子に乗って中心に入り込んで来て予算を使い始めると、これはこれで危険な事になる。ウチの会社は過去何度かそういう類いの事があった。
他部署の同期等とはコミュニケーションは良く取っているのですが、
久々のこの括り、なかなか疲れる同期会でした。
この辺で。
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