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「日本中枢の崩壊」を読んで思う。 [本]

古賀茂明さんの「日本中枢の崩壊」を読んでの感想です。

駅のちっちゃい本屋にさえ、平積みになって話題になり、本人の辞職もYahooニュースにも載るくらいの時の人です。反官僚でありつつ自由にメディアにでていらっしゃる。

「日本再占領」のレヴューの際に”「ヤメ官」の限界”として触れましたが、
http://zutsuki.blog.so-net.ne.jp/2011-08-13

その延長線上の感想になります。

読了してみて、ざっくり言い放ってしまうと、戦後に国士的官僚マインド称揚の様々な本がありましたが、そういった物と変わらない読後感がある。
彼を追い出した官僚のとんでもない生態を垣間見せてくれる貴重な資料でありながら、実際に辞職する段に至り、実はまだ官僚として三味線を弾いているかのような、とても妙な感じがする本なのです。この点に関しては、後にもう少し詳しく述べます。

 本全体を通じてみると、国家の危機にあたり、古賀さんは、ムッソリーニ的な政治家と、「官僚の夏、日本の夏」的国士イカス官僚マインドで、国を立て直すぞと思っているのかなと思いました。

このような時代には、ローカルの強いリーダーシップにおいて、きっと帝国主義的な方向に各国向いて行く事自体は判らないではない。
しかし、望ましい例として引かれる案件では、宮内氏、小泉氏、竹中氏等の改革を上げ、肯定しさらに進めるべきだという主張をされる。

これは、今や、国民を欺き刈取り期のアメリカの属国統治の政策を推進したと認識している一般の人が多い中、随分正直な記述だと思う。
他のヤメ官さん論説と比較しても、外交感覚がガチが意図的か判りませんが、すっぽりきれいに抜け落ちているように感じられる。
アメリカの戦略としてのTPPに乗っていくようでないと、とても守旧派官僚と既得権益を享受している国民は変わっていかない、という主張もある。

その件含め、農政、産業諸々のトピックで、五月雨式に様々なテーマで提案をしているのですが、リアクションが多く、個別の事業企画の寄せ集めみたいな感じといえばいいでしょうか。一つ一つはそう言う面もあるよなと思えますが、プライオリティやマップが無い。
あれこれ日本の諸問題を語りながら、ぐだぐだやってると変わらないから、一発ショックを入れないと変わらないという論に大抵傾く。

このblogの書き主としてはうーんと当然思う訳です。
まさにショック・ドクトリン(このblogの悲願であった邦訳が出たので、是非読んで頂きたい)で赤裸々に通史として暴かれ、すでに批判しか世界ではなくなった、ミルトン・フリードマン的経済ショック利用火事場泥棒方式を現地で担う「ボーイズ」達の主張と重なって見えてしまう。
その上でフリードマンの方程式を推進した小泉政権を称揚もしている訳です。

こうなってくると、私的には、読んでいてどんどんアンビバレントな印象になってきてしまいます。
脱官僚的な公務員改革の象徴というタレント性を得ながら、一方で、世界を何週もして遅れて来たフリードマン施策の推進者、今の官僚のある面、王道を行っているじゃないかと。

多分、古賀さんの本を読まれずに、判官びいき的に応援されている方、憂国の国士、脱官僚の象徴として応援されている方の半分くらいは、古賀氏の主張が実はそうである事を目にしたならば、かなり驚くのでは無いでしょうか。


 ここまでの内容をふまえ、冒頭の件に戻ります。

いろいろと官僚の悪行を暴きつつ、それが及ぼした日本の惨状を書いてあるこの本は、一般国民向けに出版された物だと思うのですが、発言の立ち位置、人称に違和感がある。

 後半に至るにつれハッキリして来るのですが、彼に取って国民は、「財政のバランスが全く取れていない事が判っていない愚昧な民草」に近い。そしてその連中の社会はエンジニアリングすべきで、その方法は先に書いたようなシカゴボーイズ的なショック施策である訳です。

そしてさっさと国民総背番号制を徹底して、社会保障、税金の徴収とアプライをやりやすくすべきだと。そして実質破綻するのは目に見えているのだからドンと増税ベースできっちり取る事を国民は理解しろという。こうなると、古賀氏は何の立場で誰に喋ってるのか?と混乱してしまう。

つまり、

●主権者の国民ではなく、同僚(官僚達)に向けて国民、政治家をこう扱えと書いてアジっているスタンス
もしくは、
●主権者は官僚の自分で、国民は「国」がこうなってんだからこう扱われるべき事を理解しろと啓蒙するスタンス
のどちらかが、内容的にまっすぐ理解出来ます。

少なくとも、官僚を敵に回して辞めたと聞く人材に国民が期待するような、「国民主権の代表者の政治家が、公務員を使って国家運営を行う為に公務員改革を行う」事はこの本の主訴ではない。
「改革派官僚の施策を遂行出来る様、国民を強く煽動出来る政治家(つまり視聴率をとれる番組みたいなもの)が必要だ」と言う事です。

とすると、なんのことはない。改革派、守旧派に関わらず官僚に実質エールを送っているに近い。

どうでしょう?
内容からそのまま蓋然性に従って頭を流してみたんですが、イメージと余りに乖離があるので、極端に感じるでしょうかね。

こういう、国民という家畜のいきものがかりスタンスを取る、官僚=国士的な物に、感化されるネトウヨ、お上に恃む金さんや大岡越前好きな層はB層ともかさなり、本来あまり本を読まない。
しかし、今反原発等とも重なると思われる、脱官僚、反官僚、小沢氏シンパのあるタイプの勢力、新B層というんでしたか、これを確実に手に取る訳ですね。
すると、中身は、ムッソリーニ的な政治家、国民に説得力のある政治家よ出よと。小泉サンは良かった、税制は与謝野さんでという内容なんですが、「反官僚なヤメ官で話題のあの人が言うのだから、ほんとうなのか?」という心理的な変化を与えるには、結構役立つだろうなあと想像してしまう。

 そろそろ長くなったので最後3つの事を書いて終わりにします。

まず一つ。

この本は、著者の反、脱官僚のイメージと裏腹に、官僚スタンスの言説そのもので、「官僚の”守旧派”の悪行で、国家破綻の危機にある。国民はしがみついていないで、もっと痛まないといけない。しかももっと稼がないといけない」と”改革派”が言う。

下品にいうと、どのツラ下げて、という感情が湧きます。国民が払っている金を食いつぶした事を認めたのなら、まず責任を取ってクビどころか実刑ですね。そして再発防止をして、その上での提案なら聞きます。
実質、体制内に遊び人の金さん、庶民の正義の味方を作って官僚が二派に別れ、免責と寄生構造の保持の為にマッチポンプ戦略を行っていると穿った見方も可能かと思う。

官僚のお尻をソフトにぺしぺししてくれる改革派を作って、

「昔の事にしがみつかずに(悪行も福島も忘れてね、責めないでね)」
「現実をみすえて(もっと税金頂戴)」

と国民に向かって言わせるということです。

これが、所謂「改革派官僚」の立ち位置というものだとすれば、政権交代当時、小沢氏主導の民主党政権に昔期待した、脱官僚、国民主権の日本という物とは真逆に近い。

2つ目。

官僚の最大の敵、小沢勢力に対して、証拠も無く、それこそ住宅を買う国民全員が銀行と不動産屋に指示されてやっている住宅ローン時の住民票移動の期ズレじゃないですが、そんな事で、なんと禁固刑の判決を出してしまった。裁判所は官僚組織保持の暴力装置で、日本の司法に正義等無いのは益々ハッキリした。
これは植草さんの件の様に、アムネスティレベルです。

ヤメ検郷原さんのツイート。
郷原さんは古賀サンのようにアジりでなく、評論スタンスですね。

「続き)必死になって利益誘導や切り違えまでやって調書をとろうとした検事はピエロだった、バカだったということになります。検察関係者であれば、検察をバカにするような裁判所の態度に違和感を感じるのではないかと思います。」

へえ。て感じですが、意図的でないとしても、官僚批判が高まる中で、切り離しや内部対立は今起こっている最中だなと。切り離そうとしている連中を、「守旧派」と読んでスケープゴート化が進んでいるのかなと想像します。

3つ目。

ここまで書いた事は、「そう見えてしまう」というあくまで個人の考えで、
「ちょっと古賀くん、我々官僚生き残りの為のスピンをやってくんないか」「ウム判りました。じゃ一肌脱ぎましょう」なんて(笑)ガチな訳ではない可能性の方が高いと思いますが、だからこそ見えてしまう性質がある。

”ナチュラル・ボーン・ビューロクラット”とでも言いましょうか。
といいつつ生来のもんじゃないのですが、一度染まれば戻れないような立場。国民を財源としてしか見ない。当然主権者等とは、言葉は別にして、実感として思う事は無い。国民主権の代表で送り込まれた政治家の言う事を聞くなんて、衆愚政治の奴隷かくらいの感じでしょうか。

国民を畑として収穫して保つもの、それは、即物的には「自分達官僚」で、国民からすれば、国(=主権者の国民)滅びて官僚ありだよな、と思う訳ですが、かれらはそう思ってはいない。

何か別の、国民不在の「国」風の何かがそこにある。
即物的には歳入歳出バランスで、国民は作物のように増減し、摩滅しては増えるという事でしょう。それは自分等の完全なる保全、逆に国民=財源の増減調整が前提になっているので、やはり国民からすると、上の認識と変わらない。

官僚が冷徹に、お前等俺等の家畜なの、と思わずに、何か「国」の形があるのなら、それは一体なんでしょうか?
天皇を頂点とした「国体」その物では戦後最早ないはずで、それは、受験に勤しんだ理念なき貧しい個人経験に基づく、気概だとか美しい国とか品格だとか都合のいいネトウヨ妄想国家なのだろうか?

この本の帯に「日本の裏支配者が誰か教えよう」と意味ありげに書いてありますが、帯の裏に「俺等だよ」と書いてあるかのように見えてしまう。
国民の、サステイナブルな最大幸福の為には、やはり、国民主権を実現しない限り無理で、官僚の妄想の気まぐれと、くだらない内部抗争に、運命を預ける存在でしかないのだなと、強く思いました。

おまけ。

官僚のとんでもないダメ情報が溢れるにつけ、満天下に晒されたら、きっと大変な事になるだろうなあと思う官庁がある。
直接国民の健康、医療に関わる所ですね。口封じを想像させる、異常な殺人事件、多い自殺。クワバラ(茂一

「日本再占領」を読む。激しくオススメ! [本]

明日はポツダム宣言受託の日。
そんな時節ですが、中田安彦さんの「日本再占領」読了しました。
素晴らしい本でした。

覇権国、属国の関係理論を基礎に、緻密なジャパンハンドラーズ研究で培われた、正しい知識と、ぶれない視点を持っている中田安彦さんをして、wikiリークスで漏れた外交公電を分析し、整理した時に見えるもの。
格別に恣意的でなく、正しい時系列で分析、整理するだけで、容赦なく整理されあぶり出されてしまう日米の対応関係。官僚の姿。そして彼らに統治能力が満足に無い事を懸念し、震災で実際に露呈した後、自国の利権の保安の意味でグズグズの日本を「再占領」していくアメリカの姿。

こんな本は、今までの日本でリアルタイム進行中には読む事が出来なかったですから、その意味で激しく幸せを噛み締めながら読みました。2つ大きく感じる事がありました。

一つは「ヤメ官」の限界。
平行して、古賀茂明さんの「日本中枢の崩壊」を読んでいて、官僚の生態という所においては大小関わらず知見倍増って感じですが、古賀さんに限らず官僚のアウトサイダーの著作には超えられない限界があるように思う。

郷原さんや、孫崎さん、佐藤優さん等の著作は、我々平民(あえて書きますが)が伺い知る事の出来ない貴重な情報や見識があって、官僚批判の根拠となる情報等も含まれますが、ざっくり言うと、「官僚だめじゃないか、頑張ろうよ」的結論に至る。

つまり想定内の遠山・チェリーブラッサム・金さん。
やはり社会党や共産党といいますか、体制内バランサーになってしまうのかなと思います。佐藤さん等は、戦後の官僚のエトスはなんだろうと謎かけをしてみせて、興味深いのですが、他の方は、中田さんがする様には彼らを含む上部構造、歴史的な経緯や機能、他国との関係性を示す事はない。また多かれ少なかれ官僚が国家主体で後は民草という観念がどうしても抜けていない。

当然官僚とマスメディアは一体ですから、マスメディア人にもそれは無理で、御用「ジャーナリスト」はジャーナリスト役の「タレント」ですからやはり無理。

中田さんは、その壁スパッと普通に跨いで(笑)高みに行ってます。チャルーマーズ・ジョンソンとか、カレル・ヴァン・ウオルフレンの領域ですね。素晴らしい。ジャーナリストを名乗る皆さんは、爪の垢煎じて以下略ですね。やはり日本ではまだ副島さんの派でしか出来ないのではないか。

 もう一つ。外交の実感覚。官僚はアメリカの「レップ」である。

リークされた公電、本国へのアケスケな報告を読んでいると、なにかと凄く似ています。凄く慣れ親しんだもの。

そう。一般企業の海外販社からのレポーティングです。
彼らが現地の「レップ」現地代理店とのやり取りを本社に送ってる、そんな感じとそっくりですね。

あの連中は使える、
あのレップはこのマーケットに強い、
情報は誰が持っている、誰と話をつければよい、
アジェンダは進めているが、現地利益とぶつかる部分がある。
誰々は我々に理解をしめしており、本社の影響力を保って今後ビジネスを続けるなら、こいつとやる必要がある。
現地での実行力はまだ未調査。

等々。
まんまです。皆やってる事じゃないかと。

これがもし外交であるとするのであれば、やはりU.S.A.という会社の継続的にビジネス優位性を保つ為に働く、アジアリージョンの販社と本社MKがハンドラーズですね。
日本国民と政治家がそう捉えれば良い。インテリジェンスというのは誰もが食う為にやってるマーケティングで、変な外交イメージにまみれたアホダラ経を考えずに、方法論的に是々非々で考えればいい。

「天皇財閥」という吉田さんのまたまた素晴らしい本があって感想文を書こうと思っていますが、その財閥社員が戦前は官僚で、かれらは今は規範とエトス無く国を牛耳り、半分以上はアメリカのレップとして動いてる、と言うことになりますか。

極めて判りやすい。
やはり、自治体や一般公務員のグループと分けて、官僚というのはいきなりでなくともリセットすべきだと思いを強くしました。

こんなに価値ある本はそうないですよ。
とにかく一読お勧めします。
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「日米 地獄へ道連れ経済」を読む。 [本]

 小沢さんを切れない様な民主党とは組めないと、谷垣総裁は言ったらしいですが、アメリカの家来同士が、「ぼくがいちばんだ!」とやっている。

一方のぼくがいちばんだ!は岡田氏や前原氏がやってますが、彼がなぜ国交省だったか、副島先生の新刊で分かりました。
「日米 地獄へ道連れ経済」です。最近すっかり書店でも副島さんの本がトップの扱いになってうれしい限り。昔は本に寄っては、オカルトコーナーだった(笑)誰も真実を無視できなくなる。
今週読みましたが、幾つかその内容をご紹介したく。

なぜ国交省?ですが、破綻寸前で公務員を強制的に休ませているカリフォルニア州のシュワルツネガーに、新幹線技術と国交省関連の隠し特別会計から兆円単位で借款の形で差し出す為だった。
なるほどと思いました。前原は、代わりに機関車のいいおもちゃをクリントンから貰ったという事です(笑

一方、遂に頑張っていた日銀白川さんが、小沢さん一派の後ろ盾を潰され、遂にアメリカの大変な事になっている糞不動産債を直接買わされるハメになりそうだと言う事。

これまでも、円高誘導で渋々ドルを買わされてますが、それでも、国内では円高誘導しないという批判の総攻撃にさらされています。
しかし、これは実際に自分の経験でもよく分かるのですが、大手、中小さえも、予約している為替に向け、生産調整し、世界中の生産拠点で生産比率、調達をすぐに変えます。なので90年代初頭までとは違います。それほど痛みません。
生き残っている所は、この20年くらいで、すでに商売のスケールや客先等を調整し、形が決まって来ていますから、日本全部がもはやウワー円高だガガーン日本沈没!みたいなのは、少しノスタルジーに入りつつある話なんですね。

この本を読んで頂き、心から、全ての人に分かってもらいたい話なのですが、
小学生でも分かる簡単な構図として、中国に対して日本を潰した実績のあるプラザ合意をやるべくアメリカ本体がドル安に向けて邁進し、元ドルと、ユーロもあり、兆を超えて京単位のダイナミズムの中でのトレンドがあって、
そこに日本が円単独でドルに一桁兆円突っ込んで、円安誘導できる訳が無いのです。
収支から言えばハナクソみたいな物。これは分かりますよね。

つまり、明々白々、完全なる無駄金を突っ込んでいる訳です。白川さんはそんな事分かっているから批判に耐え、どうしても外圧とその手先の官僚、政治家に堪えられない時にしかたなく無駄金を投入するという今日この頃らしい。

いくらやっても円高は変わら無いどころか、今24時間365日延々と刷り続けているドルに抱きつかれる割合を増やしてるので、資産がどんどん目減りして行く。数兆とはいえ、日本の歳入は40兆そこそこですから一国単位じゃ大きな話。
私も死ぬほど書いてますが、まず歳入は公務員の給料で全部消える。これのプライオリティは変わらないらしい。何故だろう?というのは先日のblog日記の通りでしょう。律令の国。

投入は、全体方針としてドル安推進しているアメリカの圧力ですが、じゃあなんで?という話になる訳ですが、貿易収支も昔程対日はひどく無いからその意味も薄い。
ざっくり言うと、水割りが水になる寸前まで水増ししてしまったので、実は水だよーん!ガハハハ!!(笑)と言ってしまうまでは、少しウイスキー足さないとヤバい。だから日本のいいウイスキーをかっぱらって水割り局部的に濃くする。
それと、ジャパンハンドラーズ各々が、自分の利益含めて、軍事や、先のローカル州の破綻等にあてるため、上物の余市20年とかのウイスキーをひっぺがして代わりにフッ素入り水道水を押しつけ、自分の水割りの濃度を利確してしまうような感じですね。適当な説明ですいません(笑

金や土地を、占領軍のいつどうなるか分からない軍票手形でバンバン取られているのとかわらないのだなと思うと、いまだ占領中ってことかとガックリする。
所謂 orz です。

そして、日銀がサブプラ爆弾抱えた糞不動産債をついに直接扱わされるに至った、そういう事らしいです。

ここでファイト一発、増税、企業は減税するイカした菅政権(笑

税率を他国と比較で見ると、企業税はそれほど低くもない。しかし、実質どうかと言う所に問題はある。借金分の45兆円が何処に流れるかがまず問題であって、比率も糞も無い。実際多くがなんらかの形で償還される事のないドルの手形になっているでしょうから、そっちが危急にして本質的問題です。

企業減税の意味の無さですが、
今企業でも、この20年、株主の物、ガバナンスとコンプライアンスの名の元に、金は内部留保、配当、外資もしくはその延長の役員賞与に消えます。そのプライオリティ、まず上澄みをかっさらう仕組みは、年次改革要望で、法令等で固定化されている。企業間のトランザクションは、そのまま日本経済には落ちないんですよ。

純粋に地元に落ちる赤福みたいな企業は、もちとあんこという2大保存食、しかも練り直して使うのが本来あたりまえのあんこ(笑)で賞味期限少しずれたくらいで、銀行入れられてコンプライアンス祭りで粛正されてきた。逆に日本の社員は一方の社会保障、所得税、増税に更に苦しくなり消費は萎む=経済も萎み、税収がさらに減る。

一方、生活に喘いでいるレベルの人に金をばらまけば、必需としてすぐ使う。金は回って経済は活性化するけど、クーデター前に約束された政策は潰されると。

アメリカに文句も言えない、かつ保身に走る官僚と政治家、その延長のメディア、それが日本を壊して来た訳です。私も足りない頭と筆で何十回も書きましたが。
じゃあどうしたらいいのか。
国内の話なんて、巣食ってる連中がいっぱいいるだけです。これは主に外交問題。外交を引っ張れる政治家は?

と言えば小沢しか見当たらなかった。だから小沢だった。

前の日記の様に、民主党が云々と今更いう人間達は、基本的に何も見えていない。保身が出来る方向から離れる事が出来ないのだと思います。こういう事を書かない人、言わない人は、ほぼ全員「律」の端っこに自分も加えてもらいたがっている。

後、30年ぶりに、空席の朝日の主筆に座って、小沢を潰し、親米に世論誘導した船橋洋一氏が退任しました。大使にでもなるんでしょうか。
中川氏潰してIMFか世銀だったかに栄転した篠原財務官が思い出されます。
また、オバマ政権の守役ラーム・エマニュエルが去った。つまり終わりだと言う事だそうです。

多分、菅クーデター政権もそろそろ用済みなのではないでしょうか。
マスメディアが全力でサポートし、小沢を叩き潰しても、ここまでに人気の無い政権もそうそう無かったから、辺野古もそのまま行けそうだし、あんまり使えないし、官僚やマスコミ人でもないし、栄転無しで切ろうという感じかもしれません。

これからその後釜狙いで、冒頭のアピールになったりする訳でしょうが、ここからガチンコの戦いが漸く始まるのですかね。つくづくここからは何事も、見誤っては行けない、lesser evelで冷静に見なければと思います。

ぜひ皆さん読んで下さい。本来のクールな論文形式でなく、とても分かりやすく、取っ付きやすく書いてあります。新聞に10年払うより価値ある1600円。
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激しくオススメ!「プロパガンダ」(旧「プロパガンダ教本」) [本]

中田安彦さん訳の「プロパガンダ教本」の新版が出ました。

4年前の旧版持ってますが、訳も読みやすく、全ての人にオススメしたい。

プロパガンダと言われると、どうも安保時代の左翼が使っていた印象、失敗した全体主義国家が使っていたような歴史的に負の印象を持つ言葉で、著作に使うのは不思議に思う。

なんか陰謀論的シニカルブラックな本だろうか、なんて読み進めているうちに、ああ、今の日本のメディアを取り巻く状況等が透けて見えるなあ、良く判ってるなあ!と皆さん思う事請け合いです。
大学の時、私広告を齧ってましたが、当時は訳本がなかった。
内容的に話題にならない訳がないだろうと。きっと人口に膾炙した本のはず。学術的に見て、商学部やコミュニケーション論等の教育では取り上げてしかるべきだろうに、なぜ知らなんだと不思議に思う。

そんな不思議に包まれながら読みつつ、少し状況等が古いので、これいつ頃の本だろうか。戦後すぐかな。そんなに古いにしては、ちょっとスーパーとか広告の話新しい感じもするしなあと思って、出版年確認すると、

82年前。。。(笑

 印象としては、今の日本のマスメディアの状況を、代理店、PR業界の人間を著者と言う事にして、一般人をターゲットにした、皮肉あふれるPR指南書として作り抜いた良く出来た知的ジョーク本かという内容なんですが、

なんと82年も前の、一般に売ってたアメリカのPR教本だったと(笑
アメリカで、パブリックリレーションズ、つまりPRの第一人者だった、エドワード・バーネイズという人の著作です。「Propaganda」というタイトルです。当時のある種のビジネス本か。

また、何百度目か知れませんが、日本の囲いの中の知しか見ないとほんとにバカになっちまうなあと、深く思った訳です。
さんざんここで書いているような「マスメディア」のやり口が、そのままこの82年前の本に書いてあるんですよ(笑

 子供気分で言うと、カンチョーされてうわっと伸び上がった挙げ句に膝カックンされた気分です(笑
そしてさらにうなだれていると肩をポンと叩かれ振り向いたら人差し指が頬に刺さるくらいに残念な気持ちになってしまうのが、

この5年前に「Crystallizing Public Opinion」という本を出している。
「世論の結晶化」ってわけです(爆笑

極東はつらいよ。
柴又のとらやに黙って落ち着く事等出来る訳がないドリフターです。

なんてblogの由来をおいといて、自分自身、10数年テレビと新聞を、意識して拾う以外一切見ない中で非効率的に見識が出来上がって来てますが、大学の頃にでも読めていたら良かったなと、そんな本です。

一方で、エンパイヤステートビルや、フーバーダム等を見た時に思いましたが、古いけどスゲーなコレはと完成年を見ると、それは大戦前、親父が生まれる前だったりして、ヒエーと驚愕して、開戦した官僚と煽ったマスメディアは一体どこのバカかと怒りを覚える。そんな気持ちも、きっと感じる事が出来ると思います。

個人的には、この時代、社会科学が発達して、実際に政策等に活用され、人々や社会をポジティブに変えようとする流れと重なっている事が、大変重要だと感じています。

安田さんの訳本の初版は、この本の歴史的な意義から考えると、少し安っぽい副題等ついてましたが、当時のこの版元さんて、殆どニューエイジとか陰謀な棚にしか置いてもらえなかったから、日本だとあのようにしないと出版できなかったんでしょうね。
存在としてはアメリカの大学の授業の副読本か研究対象くらいではと思いますが(笑

同じ様な日米のギャップの有る本としては、日本人受験生が「マッカーシー旋風」とか「レッドパージ」くらいしかきっと覚えていないジョセフマッカーシーが書いた、「アメリカの勝利からの(意識的な)撤退」って本があるんですが、別にバカ右翼の赤狩りってんじゃないんですよ。全然。

我々が敵だとされる連中をサポートして作り出しているヤツがいて、それは国の中枢で、どうにもおかしいぞ!って本なんです。
これちょっと凄すぎるんで別に書きますけど、これを知れば皆読みたくなると思う、本の中のごく一部の事を紹介すると、戦後5年そこらで、パールハーバーヤラセだったじゃねえか!とアメリカ人が書いてんですよ。つまりこの人はバカ右翼でもなんでもなくストレートにおかしいもんはおかしいという人であった。

これが、マッカーシーの本意を消されて、大衆の浅いマインドと結びついて、末端の赤狩りみたいになって、作った敵にめがけて、まんまと大衆がネトウヨみたいになって、敵を作ったヤツは、成功した訳です。
マッカーシーは失意のうちに怪しい死に方をした。
この本も2005年になって副島さんが訳した。今はアメリカ政治の棚にもありますが、昔は宇宙人の本の横だった(笑
一方でハリウッドには、この時代に叩かれた経験のおかげで、徹底した(ニュー)リベラルとか多い土壌が生まれちゃったんだと思います。

そう、これこそがバーネイズのプロパガンダなのだと思います。

大学の同級生が継いだらしい青梅のそこそこ著名な倉の旨いひやおろしを飲んで、すこし文字が踊ってますが、明日おかしかったら直しますのでご勘弁。

とにかく激しくオススメです。

特に、マスメディアの人には読んで頂きたいですね。82年前に、今マスメディアがやってる事を徹底的に自覚的にやってる訳ですから。そのまま生きるにしても、これを読んで、なにがしかの思いは胸に去来するとおもうのですが。

特に小沢さんの件は書きません。官僚とプロパガンダ業者と言う事で。植草さんとか副島さん、この本の訳者の中田さんのblogを見て頂ければ良いです。

長くなりましたのでこれにて。
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小室直樹「数学を使わない数学の講義」を読む。 [本]

ずっとバタバタしていて、2ヶ月ぶりくらいの拘束無き時間がうれしい。
明日からまたお仕事ですが。

党首選最中に、小室直樹さんが亡くなられた。

今まで東洋経済の論理、数学、徳間の宗教言論、日経関連で4〜5冊ほどしか読んでいませんが、大きい影響を受けました。副島さんの先生。天才です。たまに読み返しては気づきがあります。

官僚の問題に関して、最初に気づかせて貰ったのも、佐藤優さん、副島さんではなく、小室さんだった。

先日地元の本屋に寄って、小室さんの本を探してみると、今年になって、信長が、日本の資本主義の先駆けだったと言う本をお出しになっていたんですね。
棚にはそれと、「数学を使わない数学の講義」という2005年に新装になった本の2冊しか無かった。有隣堂は本店含めちょっと棚が読書人向けでは無くなって来ました。川上の揃えが悪い。

ワック出版の数学本の方を購入。読んでみました。
内容的には弟子とのやり取りで判りやすくしようとしてる東洋経済の数学言論より判りやすいように思う。日本土人の自分には、小室先生の本は本当に助かる。相変わらず、フェミニストの大方が眉をひそめるような例示が随所に出現しますが、私は男なので関係ない(笑)根拠無くムードで物を見てはいかん!と諭され、こういう事だ!と目を開かされる。亡くなって更に、有り難き先生。

 中学高校と、私は学年ビリから一桁台を行ったり来たりの赤点小僧で、横浜じゃ有名な数学鬼教師にもため息つかれ、しょうがない、君は私文で頑張りなさいと言われた口なんですが、別に高校数学を再び学ぼう等という殊勝な心持ちになった訳ではありません。

数学は存在証明の為の道具、論理の方法なのです。それを小室先生がちゃんと教えてくれるから読むのです。

出来が悪いにしても、あの頃小室先生の本を読んでいたら、別の人生が開けていたかもと思う。進路の話だけではなく、実存を探求する本を読み、宗教に真を探り、知を追ったりする訳ですが、論理の方法があやふやでは、いつまで経ってもただの情報断片のキメラ的妄想。

アメリカ軍のレポートで、現地人が、自分等の様に管制塔に似た物を立てて、捨てられた軍服を着て登っていると。ゲリラが組織されたのかと思って警戒したら、新興宗教だったと。
アメリカ軍人のまねをすると、宝を運んでくる船(補給船なのですが)がやってくるのではないかと期待していたようであると。そんな笑い話のような実話がありますが、対して笑えない。自分もそんなもんだった。学究的ムード満点のバカ(笑

 もとい、数学教育というのは、今はどうなっているんでしょうね。
数学の本には、目的が全く書かれていなかったよな。
当時は、何を作るかも判らないライン労働の作票、作業指示書のような物の勉強を、何故に延々とさせられるのだろうと思っていました。トレーニングであれば、算数、せいぜい簿記で後はなにが必要なの?と。当時はエクセルないですが、計算機あるじゃんと思う訳です。
実際大学出て教育現場にいきなり来ている教師自身、目的の説明もできない人も多いのではないか。そこに受験都合も相俟って、生徒の出来不出来もあれど、黙って飲むか飲まないかという部分で振り分けられていった気もします。

結果、文系理系のカテゴライズで大学に進み、其処でさえ論理学、神学、または大きな物理法則等の証明の方法としてそれを使う事をする人間以外は、数学の本意に気づく事も無いでしょう。
論理が組めない文系人間と、自己が薄いツール化した理系人間のまま、「ムードにっぽんアホダラ経」常識が支配する無明の世界に送り込まれて行く。

数学は、やはり「神はいるのか」、「我思う、故に我あり」とか、「宇宙は本当に膨張しているのか」から初めるのがいい。カリキュラム策定が難しそうだけど。これからの人の為にもそう思います。

 本の最終章に、全体と部分の集合の話が書かれる。日本は国家ですが、浅草は国家ではない。個々が全員質素倹約の美徳で貯蓄ばかりでは、有効需要が減って全体経済は縮小するケインズのジレンマ、自己利益だけを追求するだけの拝金悪徳個人が市場を通して、パレート最適を実現するマンデヴィルのジレンマ、いい人が集まってもいい世には必ずしもならない。

そして最後、アローの背理(ジレンマ)が簡易に説明されます。
B>A でC>Bであれば、C>Aである推移律が保持された状態で、このABCを自民、共産、社会で判りやすく説明しているのですが、こういった推移律が成り立っている3人が、2政党の組み合わせで投票をした場合に、個が推移律に従った選択をし、民主的に投票したとしても、全体として不合理な選挙結果を生む事が簡単に証明される。

今は大人だから、仕事上で2方針の消化が、全体最適にならずに、まさかのプロジェクト崩壊へと傾れる様な例を幾度も潜り抜けて、うっすら想像がつきますが、数学として証明されちゃってる訳ですね。40男になってそれを知るなんて、どこの辺境の土人だ俺は。。ショボーンという感じです(笑

個人が合理的な選択をしても、社会全体では不合理が起こるケースは、オプションとしてあらかじめパラメーターとその推移律が明確であれば想定できると言う事でもある。

であれば、

当然選挙や様々な所で意図的、戦略的に折り込まれている。そう考えるべきで、全体と部分の合理的判断を混在させる事は恐らく様々な場所での常套手段なのだと思う。

人々が人権を訴え、国家が転覆される。人々が平和を訴え戦争の火種になる。考えてみればそんな事は自分の人生の中でさえ沢山見知っている様に思います。社会、国のテーマと、個人のテーマは違う。

ここで良く書いているようなテーマに当てはめて想像してみる。

exampleは幾つもあって、中国韓国の排外主義の親米保守とかネトウヨ。
個人生活として近しい中韓への嫌悪感をそのまま国家の外交に結びつけて考える。一方で在特等よりよっぽど、官僚押さえて金抜き放題のアメリカが、自国の政治家を自国の組織を使って追い落とす国家犯罪に何の反応もせず、竹島、仙閣を騒いでも、基地占領には言葉を発しない。朝鮮人だなんだと、外国人参政権等で小沢を徹底して嫌う。

個人の拝外感情を利用されている様に見える。

一方リベラルもそう。
金(というかパワー)は政治に必須ですが、それを「政治と金」等と言って、唯一1円単位まで政治資金を開示している小沢氏と鈴木氏だけが理由なき攻撃を検察から受けているけども、それを何となく(ニュー)リベラル、旧朝日読者みたいな連中は半分以上納得する。他の政治家も悪いのは判っているけども、小沢が上げられるのはしょうがないと思っている「市民運動」レベルの人々。
その結果政治主導の機会を逸し主権を犯され、特会に切り込む術無く、福祉には増税も必要だとさえ口走る。平和を訴えるばかりで、自国の安保施策を行わない為に、逆に日米安保依存度は下がらずに、サウジと共に高い意味の無い軍備を言い値で買わされる状況が継続する。

市民運動レベルの半端なニューリベラル見識を利用されているように思う。

そして官僚、マスコミが総仕上げして、ちょいちょい非合法な事も仕掛ける。
結局、昨年は国民が総出で応援した、国民が信託した政治家が政策を主導する「国民主権の政治」、アメリカは別格ですが少しでも対等外交に近づける、周囲の各国との独自外交。円高是正しつつ今のうちだの資源外交。そういった国家の在り方が潰され、非合理な結果に終わる。

 ロッキード事件の当時、小室さんが、テレビで、リベラル的に角栄攻撃をやる小沢遼子さんを足蹴にして、スタジオから引きずり出されたのは伝説となって、wikiにも書いてある。これが奇人エピソードの一つになっている。天才と奇人は紙一重等と言われる。

しかし正しい。
と言っても女の人を足蹴にした事が正しいという訳ではないですが、仕掛けられたロッキードに対し、今で言えば喫煙者の様な、いくらでも叩いていいモチーフを見つけたリベラル的な人々が、自分のクリーンさと見識を競うかの様に、叩き、自ら王殺しをやり、プラザ合意という日本経済の原爆投下のスイッチを押した。そこからの困難な25年は半分自業自得。

むしろ王を殺しに自覚的なナベツネ、中曽根氏には蹴りなんか入れないと思います。社会と個人の違いさえ判らない人々に通じる事の無い絶望と怒り。
収録中に反撃するとしたら、蹴りでも入れるしか無い。理解されなくても断絶がある事は示さないといけない。いかにも正しい気持ちで集団王殺しを行う集団の無明に対する、知の悲しみと怒りの蹴りであった。そう思います。

この本読んで、
 もう君等は、常識の陥穽から脱して、社会と個人をごっちゃにして、頭の関節が何個か欠けた様な状態ではいけないよ、背理を回避しながら囲碁を打ち続ける様な頭が出来るまでガンバンなさい!

そう言われているなと思いました。

「数学を使わない数学の講義」小室直樹 WAC出版。
読みやすいので是非どうぞ!
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